「おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、

他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである」

(岡倉覚三『茶の本』)

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私たちはみな手前勝手である。それぞれ最も愛する自分という個体をいかに幸せにし、苦痛を無くすかに日々苦心し、常にそれを願っている。しかも、人に接しては、周りからはよく見られ、かつ好ましく思われたくて仕方がない。そのために服装を整え、知恵を絞って化粧を施す。それはひとつの儀礼でもあるが、別の視点から見れば偽装でもある。

森鴎外の訓えるように「儀容を整える」必要もあろう。そうして自分の可愛さが募り、自分の色んな面の化粧に余念がなくなると、自らの美点がだんだん増えてくる。しかも、増えるばかりではなく、膨らんでくるのである。何かに秀でて、そこそこ優れ、その部分に自信を持ち始めると、自己顕示欲が頭をもたげてくる。いわゆる「負けず嫌い」という人たちである。すると、自分の長所が偉大なるものに感じ、だんだん形になって見えてくるものである。

こうなるとそれが強い自信となる半面、慢心の気持ちが芽生えてくる。それは、自己の長所の過大評価に直結する。そうなれば、その自分の偉大を他人のそれと比較しても、なかなか見劣りするようには見えなくなる。その慢心が傲慢へと悪化していく道筋である。私たちは十二分に気をつけなければならない。

さらに、悪いことに他人の長所が悉く小さなものに見えてくるのである。つまり「大したことはない」というものである。何事もそのような感じでものを見ようをする人は、他人を容易に誉めないつまり評価しないか、過小評価するものである。


佐藤一斎『言志四録』に次の訓えがある。


「人己(じんこ)は一なり。

自ら知りて人を知らざるは、未だ自ら知らざる者なり。

自ら愛して人を愛せざるは、未だ自ら愛せざる者なり」


とある。


つまり「他人と自分は一つである。自分が自らを知って人を知らないのは、実はまだ自分が自分を知らないものである。また自分を愛して人を愛さないのは、まだ本当に自分を愛していない」ものでなのである。こうして、自他平等、自分を愛し、人を愛していくのが人の人たる道なのであろう。またこんな道歌もある。


「心せよ、使うも人の 思い子を わが思い人に 思いくらべて」


明治の美術界の指導者天心岡倉覚三(1862-1913年)は、維新の直前に生まれ、満17歳で東京大学文学部を第一期生として卒業した。同級には学部は違うが交友があった森鴎外がいたように、明治日本の建設を担った俊英の一人であった。文部省において古美術調査や欧米視察を行い東京美術学校開設、27歳にして校長に就くなど教育者でもあった。

その著書に茶道を英文で紹介した『Book of Tea』=『茶の本』がある。これは天心が、日本の優秀さ、善さを西洋人に何とかして伝えようと、誇りを以て典雅な格調の高い文章で記述したものである。

冒頭の言葉に続けて、

「一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう」

と西洋人の日本人への蔑視に憤慨しているのである。つまり、本来、この意味は、日本人の善さを判らない、あるいは判ってくれない、分かろうともしない西洋人を揶揄したものだ。


私は、かって岩波文庫の『茶の本』にこの言葉に触れた時、これをそのまま、自分自身の置き換えて考えた。この言葉は実に深い意味を秘めたものである!、とこの言葉への遭遇に対して、驚きと喜びを味わった。そしていかに自らの過去の行状にあてはめることができるかを実感し、恥ずかしい想いであった。

それからは、何につけてもこの言葉を思い起こすことによって、他人の小なるものの偉大を決して見逃さないようにと心している。できるだけ他人の長所を見、あるいは見出そうとする努力が尊いのではないかと自省しつつ・・・。自らの慢心を戒め、謙虚を優先し、他人の隠された美点を超音波で見出し、レーザー光線をあてることはひとつの喜びでもあろう。それは、他人の喜びを共有することにもなるのである。


「人はたゞ心ひとつを正さずば よろづの能のある甲斐もなし」

(新渡戸稲造)