「人間の能力は使用されることを求めてやまず、

人間は使用の成果を何らかの形で見たがるもの

である。けれどもこの点で最大の満足を得られる

のは、何か仕上げること、作ることである」

(ショウペンハウエル『幸福について』)

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去る4月20日『広報・PR実務ハンドブック』

(日本能率協会マネジメントセンター)が上梓された。

http://www.dreamnews.jp/?action_press=

1&pid=0000001516+日経ネットプレスリリース

 

これは、私にとって7冊目(他に海外2冊)の著作

であり、自分の能力を使用することによって、できた

成果なのだ。ショウペンハウエルの訓えによると、

あるものを仕上げることは幸福の源であるという。

「生命は運動にある」とアリストテレスが明快に断

じたように、肉体的な生命はもっぱら不断の運動を

その本質とし、それによってのみ存立すると同時に、

内面的・精神的な生命も絶えず仕事を求めている。

われわれの生命は本質的に休むことを知らない生活

なのである。籠を編むのもよいし、著作でも何でも、

特に一つの労作が自分の手で日に日に成長し、や

がて完成するのを見るということからは、直接的に

幸福が与えられる、というのである。

何かを作りあるいは仕上げる毎に、誰しもその感激を

味わうことができる。私もその恩恵を本書で得たことは

幸福である。

思えば、赤ちゃんをみよう。立てば這い、這えば歩む。

歩めば歩こうとする・・・。これは自分の能力を最大限

に発揮しようとしていることだ。肉体もそうだが、精神

も同様。「あれ何?これ何?」と脳は知ることを求め、

知識を蓄えることを求めてやまない。答えないと怒る。

これも脳の能力はその使用を求めてやまないのである。

しかも、何かができた時、つまりひとりで歩けた時や

逆上がりができた時、必ず「見て!」と誇らしげに言う。

これは、使用の成果を見たがっていること、共に見て

もらいたい本能なのである。

私たちはこれを忘れがちである。「常識」だとか「もう年」

だとかの逃げ口上が甘く誘いに来るからだ。

何歳になっても、何かを作る、創造する喜び、達成する

うれしさに代わるものはあるまい。

それは何でもいい。要は達成感であり、充実感であり、

自らの能力発揮を実感した時である。それは他人は

関係はない。自らの内なる喜びなのである。厳しい仕事

を終え帰宅する夜道で、自らが為した小さな成果であっ

ても小さく拳を握って「やったぞ!」と思わず笑いがこみ

あげてくる瞬間、これが人間の最大の幸福のひとつに

違いない。人が見ている必要はない。これこそ自らの

努力で得た、自ら感じる、心からの喜びなのである。

もちろん、他人からの賞賛があれば、その喜びは倍加

するし、その成果が社会的になればなる程誇りも芽生

え、喜びもより高い異質な次元となろう。その賞賛して

くれる人が最も愛する人(恋人・妻・夫・子供・・・)であ

れば、さらにうれしい。その人が尊敬する人であれば、

そのよろこびは格別であろう。しかし、まずは内心の喜

びに浸ることである。どんな小さな成果でもその喜びの

程度にあまり変わりはないようだ。誰でも、自分に備わ

る固有の能力を信じよう。個々の持つ、個々しか持た

ない優れた能力を見出そう。個々人の、個々人に見合

った能力を発揮することを求めよう。

それでいいのだ!

いや、それがいいのである!


「人間の幸福は自己の優れた能力を自由自在に発揮

するにある」というアリストテレスの言葉をかみしめよう。

                   【山見博康】