「春風(のなごやかさ)をもって人に接し
秋霜(のするどさを)もって自らを粛む」
(『言志四録』佐藤一斎)
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私たちはいつも上機嫌でいられるわけではない。なぜなら、
人生は山あり谷あり。一日一生。外からの圧力、内なる苦しみに
楽しい時間の連続は短く、途切れる。苦しい時間はなかなか途
切れず、長い。会う人もいつも喜んで会える人ばかりとは限らない。
時には、望まない人も居る。どちらかと言えば、(今は)遭いたく
ない人物もあろう。そんな時に、この言葉を思い起こすことだ。
常に春の風のように爽やかな笑顔で人に接するように努力してみ
よう。自分の表情は作れるものだ。「顔は相手の為にある」。
よく第一印象が大事と服装のことを第一に捉えがちだが、最も
大切なことは表情だ。相手に悪い気分を抱かせない、相手に好意
を以って接する第一歩が、春風の気持ちであろう。それは孔子の
訓える「恕(じょ)」。つまり、思いやりの心でもある。また、服装に
は金が伴うが表情には何らの出費も要らない。
「春風」を呼び込むには、一方で「秋霜」を心を抱く必要がある。
自らも楽しいことよりも、憂きこと、きついこと、苦しいこと、寂しい
こと、つらいことの方がどんなに多いことか。
「憂きことのなほこの上に積もれかし、限りある身の力試さん」
との古人の決意には、並々ならぬ自らの自粛の念が込められ
ている。人に春風を与えることは、自らの秋霜を内臓し、心深く
閉じ込め、外への出現を厳しく規正することである。さもなくば、
容易に顕れる。悪はでしゃばりなのだ。自分の気分を容易く
出す最も得意な人とは、赤ちゃんである。すべての欲、すべて
の気分、すべての望み、すべての好き嫌いを最高に発揮でき
る人は、赤ん坊である。たやすく出す人は赤ちゃんの域を脱し
ていないとも言えよう。森鴎外は、『智恵袋』において、
「『蔵拙(ぞうせつ)』」といって自分の弱点を人目にさらさぬよう
にかくしておくという心がけ自体決して悪いことではない。これ
こそが自ら我が評価を定める法というものである。自分の欠点
は必要止むを得ざる場合以外は人に見せるな、それは臆病に
ひめかくしておくという意味ではない」
と訓えている。
一方で、自分に厳しくすることは、他方で他人に優しくする法で
もある。山本玄峰禅師(三島市竜沢寺)のお言葉に次のような
名言がある。
「人には親切、自分には辛切、法には深切であれ」
(この法とは、仏法であり、真理である)
もうすぐ、年が明ける。今年の自分はいかばかりだったか?を
自問してみよう。人への春風が多かったか? 人に秋霜を送りは
しなかったか? 秋霜でもって人に接し、春風でもって自ら楽しむ、
ようなことはなかったのであろうか?
少しの努力さえあれば、春風を差し上げることができはしなかっ
たかのではないか? 特に妻や夫に対して、子供に対して、部下
に対して、つまりより力の小さい者に対してそのような態度で接し
てはいなかったか?・・・・。
来年こそは、このような自分を少しでも改めよう。心の苦しみ、憎
しみ、嫉み、つらさ・・・は自分1人でたくさんだ。そのためには、
小さな内面の喜びを大切にしよう。
【山見博康】