「真の教養とは単なる物知りでもなければ程度の高い教育
と言うことでもない。真の教養とはいかなる条件の中にあって
も、自己の尊厳をくずさず相手の立場を理解してこれに善処
し得る能力である。この能力あってはじめて、一切のものを
生かし、相互に生活を豊かにし、生きる喜びを享受し得るの
である。その生き方こそ、人間としての面目ではあるまいか」
(池田敏子)
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国語辞典によれば、教養とは「1.よい知識から得た心の豊
かさ。はば広く精神(知・情・意)の修養を積んで豊かな精
神的活力を身につけていること。2.専門的学問・知識の深
いこと」とある。
巷間にて、教養ある人と言えば、「何やら一流大学を出て、
官僚や一流企業においてしかるべき地位についた人や、
医者・弁護士などの高報酬職、あるいは、学者先生方など
を総称する。そのような人はきっと立派な人であろうとの一
般的な推察、常識的な想像である。ところが、そのような
人種でも多くの犯罪を犯すことは周知の通りである。
例えば、東大卒の早稲田大学元教授も「ミラーマン」と
呼ばれるほど今や痴漢業界ではエリートだ。
そこで「真の教養」とは何か?
池田書店創業者池田敏子氏は、1949(昭和24)年に
創業開始以来「教養書」をシリーズにて出版したが、その
ビジョンに上記のような素晴らしい言葉を記述している。
真の教養人とは、学歴でもなければ、地位でもないのだ。
我々が日常の困難に遭遇し、その都度善処していく能力が
あれば誰でも教養人になれるのである。但し、その対処の
仕方に重要な条件があるのだ。問題解決にあたっては、
常に「自己の尊厳をくずさず」「相手の立場を理解して」と
いう二つの条件を満たさなければならない。
自分を卑屈にし、相手に媚び諂い、おべっかを駆使、相手
に取り入ることによって、その難をくぐってシャーシャーと
している人物が数多だ。そうではなく、どんなことがあっても
絶対に「自己の尊厳」を護るという強い意志と実行力を持ち、
尊厳をくずさないが故の反動に打ち勝っていく姿勢・決意が
要るのだ。
また、その過程で一貫して大切なことは相手への限りない
「思いやり」である。相手の心情を察し、その地位・立場・
環境、さらには家庭、友人・・・と相手を拘束し、影響を与
える諸々に関しをも、心から慮るだけの器量がなければ難
しい。
何事に対処するにしても、まず「自己の尊厳を護る」ことを
心がけよう。
私は、唯一の「池田敏子研究家」である。本年4月、研究の
成果として、彼女が60年前に著し60万人に読まれた『人に
好かれる法』をダイヤモンド社より復刻。同時に、その終章
にあった人に好かれる法50ケ条を自分なりに解説してい
たメルマガが『だから嫌われる』として出版される幸運にも
恵まれた。まさに有る事難きことが実現したのでである。
【山見博康】