「いくたびか思ひさだめて変わるらん

頼むまじきは我が心なり」(最明寺時頼)


北条時頼(1227-63年37歳)は、鎌倉幕府第五代執権、

家督を嫡子時宗に譲った時頼は、鎌倉の最明寺にて出家した。

それを知った兄弟3人も同時に出家したことはまさに稀代の珍事

とも言えるが、この事実から時頼が執権としていかに政治を正し、

人々から敬愛されていたかを知ることができよう。


上記の和歌は、当時敬愛され、権力の頂点にあった時頼でさえ、

決心と実行との難しさを嘆き、詠じたものである。


私たちは、毎日毎日、大小何らかの決心を迫られているものだ。

朝、何時に起きるかから始まり、朝食を済ませ、会社に出る際

にも服装は何にするか? 髪型は? ネクタイはどうか? という

ようなこまごまとしたことから、今日はこんな自分でありたい、顧

客と会えばこのように話をして進めよう・・・などと心に決めていく。

しかし、それがその通りにはなかなか進まないものだ。

また、「早寝早起きしよう」「不機嫌な顔をしないようにしよう」

「優しい言葉を使おう」「日記を付けよう」などなど、ようやくのこと、

ある事を決心しても、翌日になれば、どうも気持ちが薄らぎ、「面

倒だな」と固いはずの決心も揺らぐことはいつものこと。また世の

常とも言えよう。

しかし、そこで踏み止まろうではないか! 少しでもいい、を決

め直して、何か新たに取組んでいくのだ。たとえ決めたことがその

まま出来なくてもいい、その内出来る部分でもいいではないか!

せっかく決心した自分の心を大切にして、新たな決心をし直せば

いいのである。誰に強制されるわけではない。大好きな自分から

の自分への優しい命令なのだ。それを尊重することが、自分への

思いやりであり、それが「自分の尊厳を守る」ことになる。

新渡戸稲造も、「昨日結んだ紐が、今朝見ると早くも緩んでいる

のを見れば、明日は解けやしないかと心配するものだ。しかし、

結んだ紐はその日その日に新たに締め直せば固く嶋って来る

ものだ」と励ましてくれる。

                         【山見博康】