「凡庸な教師は、しゃべる。

 良い教師は、 説明する。

 優れた教師は、示す。

 偉大な教師は、心に火を付ける」

    (ウィリアム・アーサー・ウード、19世紀英国哲学者)


 人は、教えることが苦手な人もいますが、どちらかといえば、教

えられるよりも教える方を好みます。なぜなら、教えることは自分

の知識経験を披瀝できるし、自ら学んだ優れた能力を劣った人に

対して授与できるからです。そこには優越感と少々誇らしさがあり、

教えることを通して自ら学ぶことができてそれが自信につながりま

す。教え上手は学び上手な人でもあります。

 教え上手の第一人者の1人は、幕末の思想家・教育者吉田松陰

です。1856年からつまり明治維新10年以上前に、山口・萩に、

「松下村塾」として講義を始め、誰にもわけ隔てなく親しい友人とし

てていねいに親身になって接したという。人に潜む何らかの才能と

良い性格を敏感に嗅ぎ出し、それを賞賛激励しました。それによっ

て、久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文などの維新の立役者を輩出した

のです。

education(教育)とは、引き出す・抽出することです。塾生のため

に考え、悩み、彼らのために泣いた。塾生は自分でも気がつかない

才能を見出されて自信と活力を漲らせるのです。火を吐かんばかり

の情熱に燃えたこのような師に巡り合えば、どんな人も心に点火さ

れ、胸を焼き焦がすばかりのエネルギーを生み出すことになります。

単なるしゃべり上手、説明上手な人が火を付ける人ではありません。

立て板に水のように、巧みに話す人の話は印象に残らなくても、方

言が強く、聞きにくい話が心を打つことが多いもの。朴訥でもいい、

そこに流れる熱い想いが人の胸を打つのです。

 

人の心に火を付けることができる人になりましょう。日々出会う人に

対して、何がしかの火を付けるように心がけるのです。それは、相

手が「この人に会えて良かった」と思ってもらえるように小さな努力

をすることです。その人は人生のひと時を自分のために裂いてくれ

ているのです。お互いにその僅かな時間をより価値あるものにする

ことです。

それが、人の心に小さな火を付けること。そうしていけば、私たちは

自分の心にも火をつけてもらえるでしょう。

人は誰も、(小さいが)偉大な教師の仲間入りができるのです。

                       【山見博康】