「人間の能力は、使用されることを求めてやまず、

 人間は使用の成果を見たがるものである」

      (ショウペンハウエル『幸福について』)


赤ちゃんの言動には人間の本能が現れます。

這えば立とうとし、立てば歩もうとし、歩めば走ろう

とします。それは、自分の能力を最大限発揮しよう

としている本能の姿です。脳も同じ。言葉をしゃべ

ろうと何でも物まねし、オームのように繰り返す。

知らないものは誰にでもすぐ問いつめる。「あれは

何?之は何?」と親に質問攻め。そして何かを達成

した時、至福の表情で「ママ、見て!」と叫びます。

これは脳の発達につれて知りたい欲求、知識を増

やしたい本能の現れです。いずれも自分の能力が

使用されたがっているからです。

ところが、小学校に入り、次第に自我がつき、常識

・社会慣習などを知っていくと、その本能を忘れて

きます。自分の能力を溜め、出し惜しみし、精一杯

やろうとしなくなる。変に手を抜くことを覚えます。

物事を上手く、巧みに処理することに長けた人が優

秀だと誉められる。自分の本能を曲げ、自分のかけ

がえのない能力を使わずに温存するのです。

それは自分に対する冒涜であり、出したがる自分の

優れた能力への反逆でもあります。自分とその能力

に申し訳ない気持ちを持つべきです。

私たちは自分の持つ価値をより善いものに使わな

ればなりません。折角の能力をより価値のある事に、

より価値のある人に、より価値のある時に振り向けま

しょう。自分を大切にしたい人にはできるはずです。

それが私たちの本能、それができた時が至福のひと

時なのです。

「人間の幸福は、自己の優れた能力を自由自在に

 発揮するにある」       (アリストテレス)