人は楽器である
人は楽器である。これ程高性能の楽器はない。
これ程多機能の楽器はない。バイオリンにもな
り、打楽器にもなる。吹奏楽器にもなる。どの
音も鳴らせ、どんな微細な音も表現することは
できないが、泣き笑い、怒り、悲しみ、喜びな
どあらゆることを表現することができる。
楽器はそれらの一部を人工的に作り出している
に過ぎない。楽器が壊れるが、修復できる。
しかし、楽器は自ら治すことはできない。必ず
人の手を借りる。人間の手では、直すことがで
きる。また新しく購入することもできる。
但し、お金次第で。
人間楽器も不調になり、時には壊れる。いろん
な壊れ方をする。これを直すことはなかなか骨
が折れる。難しい。不可能ともいえるものもあ
る。ただ、人という楽器は自分の意志で直すこ
とができる。
▽反省によって、自ら気づく
▽先輩からの教えによって
▽友人からの率直な忠言によって
▽研修によって
▽仕事によって
人は自ら自分の心に語りかけ、自らの改善点を
見出し、自覚し、そして自らの意志で変革に着
手するが可能だ。
むしろ、人は他人には治せない。どんなにお金 を積もうが、どんなえらい人が指導しようが、 容易には治らない。それが治るのは本人の意思 のみである。
意志なくして変革なし。
意志なくして改善もない。
少なくとも変革は可能であるが、どの位変えら
れるかは分からない。あまり変革すると自分で はなくなる。
しかし実は、変革には大いなる限度があること
も認めよう。その上で、変革努力を常に怠らず、
弛まず地道に継続することが望ましい。なかな
か好転できないが故に、善い人に変わることは
尊く勝ちのあるものである。
ドイツの哲学者ショウペンハウエルの次の金言
は衝撃的である。
「人間はどんなことでも忘れられないことはな
いが、自己、すなわち自己の本質性格だけは忘
れられない。それもそのはずだ。人間のいっさ
いの行動は内面的な原理から流れ出るもので、
この原理によって、人間は同じ状況にあれば常
に同じことをするほかには仕様がないものだか
ら、性格というものは全く修正の効かないもの
である」
(ショウペンハウエル『幸福について』)