去る3月30日、春らしい晴天の中、新宿矢来町にある池田敏子さんの墓前に2冊の本を捧げ、感謝の意を表し、天国からの更なる激励をお願いしました。

  その2冊というのは:

 『人に好かれる法』近藤信緒著。山見博康編

 『だから嫌われる』(近藤信緒の「人に好かれる法」五十ヵ条)山見博康著

   (近藤信緒は池田敏子のペンネーム。出版:ダイヤモンド社。1365円税込)


 出席者: 池田菊夫(池田書店相談役。敏子の次男)

 (敬称略)池田豊(池田書店社長。敏子の末弟故五郎の長男)

       池田美恵子(敏子の長男故菊年の妻)

       池田信吾(その次男。つまり敏子の孫)

       西村清人(池田書店常務取締役営業本部長)

       小泉扶美子(池田書店取締役)

       花田茂明(前ダイヤモンド社出版局。復刻点火人)

       田村譲司(ダイヤモンド社出版局第2編集部で実際の編集者)

       と私です。


 当日の早朝は大雨。「敏子さんは泣いてんのか?こまったなぁ」と心配していたら、徐々に回復、お昼頃には晴天だし、暖かくなって暑い程。春一番のような春風もあり、実に爽快なお墓参りでした。じゃ朝は「遂に現代に蘇ったという天国のうれし涙だったのだ」と皆で大喜びでした。

 敏子さんは現池田書店の創業者。1904(明治37)年日露戦争勃発の年に8人兄妹の長女として山形市で生まれ、高等小学校卒。一家で上京し、保母学校で働きながら生計を立てたという苦難の人生でした。結婚後書店を創業、自ら著作。戦後離婚し1949(昭和24)年現池田書店設立。自らも著作するとともに多くの教養書を出版しました。最大の功績は、当時の性革命書といわれる『性生活の知恵』を出し、何と420万部も売れ、その3人に1人が女性だったそうです。また彼女は、最初の女性ベンチャー経営者とも言えます。1984年80歳で波乱万丈の一生を閉じました。

 多くの著作の中に『人に好かれる法』があり、この古書が私の人生を変えてくれたのです。同書との出会いは、30年位前、つまり30歳くらいの頃。古めかしい茶色に日焼けしたこの本を一読して深く感動し、その後「座右の書」として片時も離さず一緒に世界を回ったのです。

簡素な中に潤いのある内容と断定的な表現による男性的力強さに惹き付けられ、いつもわくわくした想いで何度も読み繰り返す私は、生涯心の師として、日々の過ごし方や人との接し方を学ぶのでした。


とくにわがままに育った私は、好き嫌いの多い性格を少しでも改めることができ、心も広がったような気がします。

この本は、戦後の荒廃した日本において全国の青少年に夢と生きる道を示した教養書、きっと現代人も感動すると信じてダイヤモンド社に相談したところ「面白い」となり復刻が決定。その時私が、その終章にある「人に好かれる法50ヵ条をメルマガ『至誠の咆哮』で解説したものを”ダメ元”で見せると「これも面白そうだ」ということで、来る4月5日に2冊同時刊行という出版業界でも初めての試みが実現するのです。


この度見本が出来てきたので、早速まず敏子さんのお墓に献納したものです。



本書を読まれた読者が、ひとりでもふたりでも、より良い「好き方・好かれ方」を学ぶことによって、人生に迷うひとのために指針となり、苦しむ人のための心の安らぎとなり、コミュニケーションに悩む人のためのささやかなともし火となればうれしいものです。

敏子さんは、大いなる業績をもつ女傑にもかかわらず、まったく光を当てられることもなく、歴史に埋もれていたのですが、私は彼女を今の世に蘇らせることに大義を感じ、それは私しかできない使命・義務と思っております。今後更に復刻や伝記のまとめを行う所存です。

読者の皆さん、6日以降書店に並びますので手にとってみていただければうれしく存じます。敏子さんの見識と情熱がきっとひしひしと伝わり、自分の反省と改善への意欲を感じることでしょう。              山見博康