私の電車での定位置はドア左右にある隙間です。そこに立つ理由には、五つあります。

1.健康のため。少しでも運動出来る。吊革ストレッチ・踵上げ・・・。

2.読書のため。満員電車でも押されにくく、読書も出来る。

3.人のため。一つ座席が空き、座りたい人が座れる。(特にご老人等)

4.愛する古い鞄保護のため。この角に置くと満員でも保護される。

5.乗客を観察し易いため。人の行動・表情を読む訓練となる。


 電車等に乗る時、降客を待つ間に空席を見つけ、どの乗客が座るかを観察すると時々面白いシーンを楽しめます。座りたい人は乗る前から空席を探し、狙いをつけ、最後の降客とすれ違いざまに空席に突進し、争って席を奪い合います。1つの席の奪い合いの決め手はどっちが尻を突き出すかによるので、時には尻と尻のぶっつかり合いの光景も面白いものです。勝った人の誇らしげな顔と負けた人の悔しそう顔のコントラストもあたかも陰影の多い絵画のようです。「ふん、どんなもんだ」と負けた相手にちょっと軽蔑の眼差しを送る人もいます。申し訳なさそうな表情がほとんど見られなの残念です。心の貧しさなのでしょうか。後者には何だこいつめ!という表情もあるし、時にはバツの悪そうな仕草や、どこか恥じらいの表情も見られます。人間の闘争心の醜さがいくつかのシーンとなって現れます。

 昨日のこと。電車に乗ろうと、降客を待つ間空席を見てみると、向こう側に2席の空席があり、そこにどんな人が座るかな?と思いました。前に並んでいた数人は降客を待ち切れずにも乗り込もうとしていました。中年の会社員が真先に乗車しその席に突進、ついで70歳位のお婆さんが後を追いました。私は「ああ、この2人の年配に幸せが・・・」と内心ほっとしたのも束の間、何と左のドアから若い美しい女性がその席に突進しているではないか!、男性は先に座り、あと1つだ。「え!どうなるか?」・・・とその美女が素早くお尻を入れ、一瞬先に座ってしまったのです。その勝ち誇った顔!そのお婆さんにひと言も言わず、どうだ!とばかり一瞥! 戦いに敗れた哀れなお婆さんは、バツの悪そうな仕草、しかし一瞬譲ってくれるかな?と思ったのか数秒立ち止まった。しかし、美女はつんとすまし顔したまま、横の男性も知らんプリ! 期待も願いも叶わずお婆さんは数歩後すざりし、すぐ近くのドアの横に立って吊革を(ぐっと)握り締めました。動き出した電車。比較的少なそうな隣の車両を見ると、何と一つ空いているではないか! 私は、数秒誰も座らないことを願いつつ、お婆さんに近寄り後ろから肩を叩いて、手招きして空席の方を指差すと、察したお婆さんはよろよろしながらも足を運び、運よく座ることが出来たのです。そのほっとした表情によかったなと思いつつ、例の2人を振りいて見ると、何か見にくい(醜い)ような感じでした。

 電車も満員になり、私はお婆さんの座席の近くの低位置に立って本を読んでいたら、「ありがとう」との声。そのお婆さんが降りがけにお礼の言葉をかけてくれたのです。

せっかくの美女も戦いには勝っても、その心はいかばかりか?その表情は次第に醜くなっていくのではないかと心配しています。俳優の片岡五郎さんから「顔は変えられないが顔つき(表情)は変えられる」と教えられました。つまり、表情は心情の現れです。いつも他人に見える自分を意識していると、怒った時苛立った時の恥ずかしい表情が気になります。「顔は他人のためにある」のです。