本日は私の62才の誕生日です。この「18」という数字には思い入れがあり、自分ながらの意味と意義を見出しています。その一つが「イチかパチか」というものです。自分の性格や行き方にぴったりだからです。小さい頃から何か実行に移す際に、あまり先のことを考えずにやってしまうからです。だから失敗も多く、しかも懲りずに繰り返すのです。このお陰で前いた会社を辞め、今になっています。何事も慎重にマイナス面も考えて、というのは常識ですが、それができない性格なのです。理屈より感情、冷静より熱情?ところがこの性格が時にはうまく行くことがあり、これが応えられないのです。だからつい「ひょっとしたら」と思ってしまいます。頭のいい人は「小さなリスクだけ取って大きなリスクは取るな」などといいますが、人生においてそれで乗り切れるには苦労しません。余程運がいいか、何も挑戦しない人でしょう。結婚もリスク、子供もリスク、学校も・社会に出てもリスク。もちろん経営は日々リスクだらけです。その程度は様々ですが、「何かやる」となればどこかで自分なりに大きなリスクを背負う決断が必要です。

もう一つの見方では、「18」は、「NO1」か「末広がりの八」あるいは8を横にすれば無限大となります。従って、いい意味でもあるのですが、実はその恩恵はどうでしょうか?私の場合にはどちらも現実には有り得ないのです。ただ「無限大の可能性」というのは、勇気づけられますが。やはり私は「イチかパチかの人生よ!」と覚悟するのです。実は、この方が好きなだけです。

自分は自分。人と較べない。自分の力で出来ることをする。自分の力を伸ばす。「人間の幸福は自己の優れた能力を自由自在に発揮するところにある」(アリストテレス)のです。自分の絶対価値を重んじることを改めて誓います。             山見博康