ドリカムアレルギー。
18日に放送された『マツコの知らない世界』により一躍脚光を浴びた言葉である。
さすがはドリカムという感もするが、彼らを苦手にする人々にとって、実にしっくりきたのだろう。Twitterで知ったのだが、トレンドワード1位になっていたりと。
ふむ。思うことがあるのだろう。吉田美和さんの書く歌詞へ。その世界観に。
なんかこうリア充の象徴というか、そうじゃなきゃ幸せじゃないというか。夢や希望を持ち、前を向いて頑張らなくちゃいけないというか。そういう類がしんどいというか、耳に障るというか。ようするに、どうも居心地が悪いのだろう。
現代社会を思えば、分かるような気がしないでもないが。

さて、つづては現代ビジネスの話にワープしよう。
数字が出ない、思うような成果が出ない、これら類の背景の一つには、薄い存在感や個性を挙げることができる。
さらなる背景を探れば、同質化がある。
数多の同業者、ハイクオリティのスタンダード化、優れた商品やサービスの一般化あたりが主な要因だが、これを更に加速させているのが、言葉や文章だ。
ようするに、その業界の各社は同じような言葉を連ね、同様の価値の言い回しを行い、ミッションじみたものも掲げ、生活者へ伝える。
ここでの代表格は、幸せや豊かさ、癒しという類だが、こうなると色や形という単純なものだけが違うことになる。
ならば、生活者はあるクオリティ以上で最も安いものを選べば良いことになる。なんせ同じような価値なのだから、価格という基準が合理的だ。
ふむ。とはいえ、何かおかしいではないか。
ハードは同じ類であっても、ソフトは各社違うはずだ。理念という類もそんな薄っぺらくないはずである。
個人もそう。同じ会社の社員だとしても、同じものを取り扱うにしても、各々の性格や人格があり、そこには確かな個性があるはずだ。経験やセンス、価値観もそうで、自社商品(サービス)に見出す価値も微妙に、あるいは大いに違うはずである。
それなのに、なぜだろう。同質化の波に飲み込まれるのは。なぜ、同じような言葉を紡ぎ、生活者へ伝え始めるのだろう。
おそらくは、不安や怖さという類を覚えるのだと想像する。その業界の、その企業の、その店舗の、あるセオリーや枠から外れることの。いや、そこから外れさえしなければ何も言われないというような安心感があるかもしれないが。
ようするに、他人の目(評価)を気にし過ぎるバイアスが実労と同等レベルに働いているのではないかと推察する次第だ。
冒頭のドリカムアレルギー。
アンチやアレルギー反応を示す人がいるとは、個性や世界観がある証である。そうじゃなければスルーされるだけなので。好きでもないし、嫌いでもない的に。
さらに付け加えるのならば、それが確かであるほど、その支持者数も影響力も絶大ということでもある。なんせ、『LOVE LOVE LOVE/嵐が来る』(1995年)は240万枚以上を売上げ、『The Swinging Star』(1992年の5thアルバム)は300万枚(累計売上枚数)を突破したのだから。