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No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

6月。
ハジマリの歌は『おもいでのすきま/いきものがかり』





さて、日常に溶け込んだコンビニ・コーヒー。ボクもほぼ毎日飲んでいる。

ところが、ローソンには苦手意識があって、余程の理由がない限りファミマかセブン・イレブンに入る習慣もある。

というのは、どうもスタイルが性に合わないのだ。コーヒーを店員さんが入れてくれるという。いや、せっかちなだけなのだが、どうもあの待ち時間がという感じで。

その他にもある。ICOCA(JR西日本のICカード)決済の時、レジのこちら側の画面を指でタッチしないといけない。他のコンビニにはないこの一手間もまた、どうも面倒に思う性質なのだ。

(いずれも個人的な相性であって、ローソンのやり方が間違っているという意味ではない)

ようするに、合うか、合わないか


これがものを言うこと、もの、シーンは多いと思う。物事とはそれほど単純ではないし、それぞれに違うわけだから『類は友を呼ぶ』的に。

たとえば、店舗、商品(サービス)選びでもありがちだろう。なんやかんや理屈を並べ比較をしたとしても、この辺りが相応しい落ち着き先になっていたりと。

さらに個人的なシーンもそうだよね。言葉遣い、声のトーン、笑い方、価値観、諸々と、ストレスフリーな相性とそうじゃないものがあったりして。

さ、今月前半はご依頼頂いている原稿の締切が目白押し。そして、静岡、岡山、福岡遠征が。お待たせしないよう頑張ろう。全速力で。

当たり前すぎるけれど、本質が大事である。何事もその理解、精通度という類と行動クオリティは比例するわけで。

 

さて、そこを見失わないようにしたいものだが、とはいえ、難しかったりもするのだよね。

 

たとえば、人が苛立ちを覚える時。それはもう感情にものを言わせている場合も多そうだ。

『自分の言うこと(指示)に相手が従わない』だとか。『改善方法を話したのに、なぜ、できない?』という風に。

 

ここにはもっともらしい言葉、理屈、正論が登場しそうだが、ようするに面白くないのだろう。コイツ、オレ(ワタシ)をナメてんのか的に。なので、苛立つ的な。(単なるパワープレイでもあるのだが)

 

 

上司は部下のあらゆるクオリティを高め、生産力を上げること。与えられた使命の一つである

 

上司の役割とは、たとえば作業工程の単なる管理者ではない。本質論をベースにその工程がなぜ必要なのかを教え、あるいは、工程のカスタマイズ、従来以外のアプローチを共に見出したりするわけで。

 

なので、本質から外れることに対し『やり方も教えているのに、なぜ、できない?』とは、おかしな言い草なわけだ。前述の指示通りにやらないため苛立つ。オレ(ワタシ)をナメてんのか的なわけで。

 

ようするに、その本質の理解度を相手の中で高めようと努力しないゆえの副産物なだけである。(そもそも、上司自身がその本質を理解できていないパターンもありそうだが)

 

やや余談的だが、『なぜ?』とは相手を責める言葉なのだよね。たいがいは。『言ったのに、教えたのに、こう指示したのに』が、それに続くわけだが。

 

もし、本当に相手の真意を知り、聞き、建設的なものにしたいと思うのなら『何ができない障害になっているのか?』という類で聞かないと、得てして分からないものである。また、改善方法も見出せないものだ。(ま、その人の心の声が聞く言葉に表れているわけだけどな)

 

ふむ。そう思うと、苛立った時、怒りたくなった時、『はて、自分はどれほど本質的か?』と、一呼吸置くことも必要だよね。感情の赴くままじゃなくて。

 

いや、感情と都合に支配される我々には難関なのかもだけれど。(それでも気を付けるだけマシだと思うわけで)

 

さ、明日も頑張ろう。無駄に苛立たず、全速力で。

PDCA。

周知の通り、Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)の繰り返しにより、本質的な問題を改善、精度を高める方法だ。


たとえば、問題点を言葉化してアプローチする。さらに、重要度のグループ分け(長期的、中期的、短期的)、さらに拡大性や緊急性を加えたりして。

 

リーダーや管理職の方の関心事でもあり、企業組織にとって重要なテーマの一つに違いない。講師を招いた社内研修も行われているわけで。

 

その他、関連書籍も数多。ようするに、ビジネスシーンでは絶対王者的な存在だろう。

 

 

ところがである。これまた周知の通り、巷では機能しない実態が溢れている。とはいえ、手法そのものが難しいかというと、そういうわけでもないのだが。

 

やや余談的だが、ボクが講師を務めさせて頂く際も役職員のみなさんは的確に本質的な問題を分かっていらっしゃる。

 

ようするに、定性、定量分析などは不要なほどシンプルな話であり、PDCAの対象となる第一順位へのコンセンサスは、すでに組織内にある場合が多いと思うのだ。どの組織でも。

 

実は絶対王者ではなく、時として絶対弱者

 

PDCAのロジックは王者に相応しいものだろう。シンプルかつ合理的で生産力も計り知れないほどである。

 

とはいえ、機能しなければ宝の持ち腐れというか。王者からの格下げは免れまい。さらに、本質の改善よりも遥かに優先度が高いものがあれば出番さえなかったりもするだろう。

 

上司が何を求めているかにもよるよね。なんせ上司に怒られたくないと願うのはサラリーマンの宿命なわけで。人事評価にも関わるわけで。

 

本質的な問題へのコンセンサスはある。組織内の誰もがそれを十分に理解されている。しかし、PDCAの対象にはならない。そういうケースは多いのではないだろうか。

 

いや、『なぜPDCAサイクルが回らないのか』が問題ではなく、『なぜ対象にならないのか = 本質に対し本気になれないのか』。この辺りに最大の問題があるケースは多そうだ。

 

ふむ。これからも激しく傍観してみよう。強弱を併せ持つ、絶対王者の行方に。