電通の過労問題。
入社1年目の女性社員、高橋まつりさんの自死は、社会に大きな波紋を広げた。
マスコミ各社、全国紙が一斉に報じ、朝日と読売は社説を通じ問題提起を行った。武蔵野大学、長谷川秀夫教授の不適切な発言も話題になった。
それに伴い、多くの人が多くの論調で語り出し、いまなお専門性を切り口とした問題提起もされ続けている。
目を通したものに限るが、過労死等防止対策推進法、労働基準法。働き方改革、新たな働き方の提案。残業規制(含む、サービス残業)、日本的企業体質。上司選択制の導入、一般入社組へのしわ寄せ、諸々と、実に多様だ。
(『子育てサポート企業認定』は辞退済み。11/1、東京労働局へ申し出、承認)
たしかに、ごもっともだと思う。
上記テーマが当てはまる企業は多いと認識しているし、電通の『鬼十則』を手本とした企業も少なくはないとも。
よって、違法な長時間労働の是認、労働基準監督署からの是正勧告等も特に驚かない社会であるだろう。一般的ワードとして馴染んでいるというか。
また、ボクが大卒以降、30歳までサラリーマンを過ごした企業も上記の全てが当てはまるだけに、余計にそう思う次第だ。
さて、ボクには専門外のジャンルだ。
ゆえに労働法や法規制等を語れるスキル等はないが、個人的には人が持つある一面、冷酷性にフォーカスし、この問題を捉えている。
というのは、今回の自死の根底には、人が人を傷つけ、さらに塩を塗り、そうして追い詰めたという真実もある。企業というモノではなく、そこにいる人たちによって。
これは大組織特有なものかといえば、そういうわけじゃない。
自死に至らないまでも、そういう類は人々の日常に潜んでいると思うのだ。もしかしたら、家族や家庭内にもあるかもしれないし、友人間にもあるかもしれない。
たとえば、振りかざされた正義や正論。意地やプライド。自分さえ良ければ良いという思考や発想。その場の空気に支配され、流されるもの。他人事という冷たさ。そういう諸々によって。
とはいえ、その自覚とは得てして薄いか、全くないものだろう。自身の発言、行動、態度が、まさか誰かを傷つけ、塩を塗りこみ、追い詰めているなんて思いもよらない、という感覚が正しそうに思うわけで。(他人のそれは瞬時に感じ取るものだが)
ようするに、人柄も良い人が、まともな人が、またはそういう複数の人が、普通にやる怖さでもある。
人とは元来、身勝手な生き物である。
いや、多面的である人の一面、それもボクらの一部と呼べるものだとも思う。ゆえに、時に間違いや過ち、さらには冷酷性となって表れるのだろう。
(なので、大人、子供を問わず人間社会からはイジメもなくならないし、運転しながらのポケモンGOで死傷事故、という類も多い)
誰かを傷つけていないか。
さらに、塩を塗り込むようなことをしていないか。
そうして追い詰めていないか。
ふと立ち止まり、そう想像することは大事だと思うし、そう思えた際、それを知った際は、すみやかに手当をする思いやりが大事だとも思う次第だ。人には温かく優しい、そして、寛容な一面も備わっているのだから。
やや余談的だが、今回の電通問題にあたり、知人の自死を思い出した。
その第一発見者はボクで葬儀にも参列させて頂いたのだが、そこにある全てが何とも表現できないものだった。
ここに至るまで、この人はどれだけの傷を負ってきたのだろうか。人に言えないような心の闇を抱えてきたのだろうか。どれだけ耐え、踏ん張ってきたのだろうか。と、思うと涙も出た。
ふむ。優しい社会を創ろうではないか。人が人である所以のままに。
書き終え、ふと思ったのだが。これは備忘録でもあるのだな。