器用貧乏型よりも、マニアなコンセプトや世界を創る方が強い、の巻 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

総合とは、見慣れた類である。
間違ってはいないが何となく退屈な世界でもある。

 

さらには、他の企業、店舗、人でも網羅できる領域でもあり、生活者(お客さん)市場から眺めれば代替え可能な存在でもある。

 

ゆえに、そこで(それで)なければならない理由が実感しづらいわけで、価格をはじめとする比較競争にもなりやすい。リピート率にも直結するし、アマゾンをはじめとするネットにリアルは敵わなかったりもする。

 

これはどんなに目先を変えようと、風変りにしようと、他社(他店・他人)との差別化を図ろうとしても、基本軸を一にする話である。

 

ようするに、業界が右下に傾けば同様になりやすく、少子高齢化や景気といったマクロ環境と売上も正比例しやすい。さらには、資本力をはじめとするスケールメリットには敵わないという構図もできあがる。(ゆえに、苦戦する分析は容易いものがある)

 

 

一方、その対極にあるものは、絞るだ。一点集中だ。
マニアなコンセプトや世界でもあるのだが、周知の通り、思わず『へぇ』を連呼するような特別感がある。人を惹きつける力もある。

 

つまり、生活者(お客さん)市場にとって、そこで(それで)なければならない理由を実感しやすい存在だ。

 

ビジネスシーンにありがちな幻想的思考の一つに、『間口を広げさえすれば、生活者(お客さん)が沢山やって来る(買ってくれる・利用してくれる)』というものがある。

 

あれも、これも、やれる的な。
あれも、これも、取り揃えている的な。
あれも、これも、提供できる的な。

 

そう。そこには総合というウリがあるのだが、ようするに、前述の通りであり、器用貧乏的でもあるのだ。

 

企業、店舗、人。いずれも各々の個性がある。本当は。価値観や体験談、思想や志というバッグボーンによっても、マニアなコンセプトや世界を創り出せるほどのものがある。

 

もし何かしら満たされていないのなら、もっとやれるはずだという不完全燃焼感があるのならば、自社、自店、自分の棚卸作業、歴史的年表を作ってみてはいかがだろうか。

 

きっと、的が絞れるはずだ。さらには、人々や社会が求めたくなる市場的価値にも気づけるはずである。

 

そう。そこには可能性と希望があるのだ。