『欲求』という記憶もまた、不確かなもの | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

目覚め、間もなく忘れる。確かに覚えていたはずなのに。
夢のことだが、だいたいはMOCO'Sキッチン(ZIP!・日本テレビ)の頃には綺麗さっぱりだ。

 

 

人の記憶といえば『エビングハウスの忘却曲線』が有名すぎるが、20分後には42%ぐらいを忘れてしまうらしい。さらに、1日後には74%。1週間後には77%という具合だ。

 

そう。人の記憶とは儚いのだ。

 

余談的だが、どれだけの人が覚えているだろうか。昨年の東京五輪エンブレム問題。ベルギーの劇場『THEATRE DE LIEGE』のロゴと酷似しているというものだったが、8月の出来事である。

 

翌9月には、安保関連法案へのデモ。国会議事堂前をはじめ各地で繰り広げられたが、どこか熱狂的でロックバンドのライブ会場さながらの雰囲気でもあった。さらに『次の選挙でNOを!』と叫ばれもしたが、いよいよ来月10日は参院選なのだよね。投票の行方はいかに。

 

そういえば。あの日あのとき神輿に担がたSEALDs。その後はどうなったのだろう。活動を追っていないがゆえ知らないだけなのだけれど。

 

『欲求』という記憶もまた不確かなものである。

というのは、この社会には優れたものが氾濫しているわけで、新たな欲求に出会う機会にも溢れていることを意味するからだ。

 

たとえば、センスが良く素敵すぎる『この商品が欲しい』とする欲求。検討する中、間もなく他のそれに出会ったら、どうだろうか。

 

料理の味に感動し、『またこのお店に来よう』とする欲求。次の機会に訪れたお店の味も超絶的で、雰囲気も抜群だったらどうだろうか。

 

ようするに、何かの欲求がその瞬間に確かに芽生えるも、新たなそれに出会うなり不確かになるものはそれなりにあるだろう。

 

とはいえ、惜しい。惜しいではないか。

一度、そこまで気に入ってくれた人に忘れ去られてしまうとは。

 

冒頭の『エビングハウスの忘却曲線』。
これに対抗するには、2つが大事だと脳科学的に分かっている。繰り返しと強烈さだ。

 

生活者と頻繁に繰り返しコンタクトを持つ方法論はいくつもあるが、ネットは最も向くツールだろう。(ソーシャル、SNSはそれに強いし)

 

また、コスト、販促・広告予算が制限、課題となる企業や店舗もある中、無料(あるいは安い)という使い勝手の良さもあるだろう。

 

もちろん、頻繁に繰り返すとは、地道がゆえ過酷でもある。こんなこと続けて意味あるのか?と脱力したりして。無反応に落ち込んだりもして。

 

でも、頑張ろうよ。人は間もなく忘れてしまう生き物だし、ハイクオリティは標準装備並みの社会なのだからさ。