人の死とは、一瞬にして色褪せる孤独なものなのだろうか | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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大阪、梅田での悲劇。(2人が死亡、1人が重体、8人が重軽傷)

先日の木曜日(2/25)、午後0時36分の出来事だが、ただただ不憫に思う。加害運転者、被害者の方々ともに。




この現場、ヨドバシ梅田と新阪急ホテルの間のスクランブル交差点なのだよね。

会社から見て、JR大阪駅を挟みちょうど対角線辺り、歩いて10分弱の場所なのだけれど、数多通って来た所だ。

ゆえに、どうも他人事じゃないような気がして。暮れゆくこの現場、周辺を歩いてみた。

新阪急ホテルの端、車が衝突し止まった場所にはそれはもう沢山の献花、お茶、ジュースのペットボトルなどが手向けられていた。多くの人の温もり、願い、祈りと共に。

手を合わせた後、ふと、気づいたのだが、いや、多少の戸惑いのようなものもあったのだが、いつもと何ら変わらない光景がそこにはあった。

腕を組み、手をつなぐカップルたち。どこかへ食事へ行こうとするような家族たち。はしゃぐ友達同士たち。スマホを眺め、待ち合わせ場所に立つ人たち。そして、家路を急ぐ人たち。

唯一、見慣れないものは、献花の傍をウロウロとする浮浪者らしき人。辺りを気にしていた風なので、手向けられたお茶やジュース目当てだったのかもしれない。もしかしたらだけれど。

人々は何を話しているのだろう?と、言葉を耳に拾っていると、これまたほぼ全てがいつもと変わらない。残りは『ここが現場なんやなぁ』というような言葉たちだった。

更に周辺を歩いてみても同じだ。まるで、あの痛ましい事故がなかったかのように普通だった。










人の死とは、なんなのだろうか。一体。
一瞬にして色褪せる孤独なものなのだろうか。
本当に地球よりも重いのだろうか。
しばらくの道のりの中、気づけばどこか複雑な感情に包まれ始めていた。

この答えは、そこまで簡単ではないと思う。いや、何も分かっていないに等しいかもしれない。が、誰もがみな今を必死に生きている。これだけは確かなような気がした次第だ。

ふむ。とにかく今日を生きよう。全速力で。