合う。合わない。とは大事であり事実でもある。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

木を見て森を見ず。
「失敗事例からの反省会的な会議」にも言えると考えている。

というのは、クライアント先での「そもそもミーティング」がじつに面白い。

スタッフさん毎に失敗事例を発表していただく中、同僚の方々に「そもそも度」をチェックしてもらうものだ。

事例を述べられているご本人は、「あのタイミングで」、「この点を訴求していれば」、「あれも説明できていれば」というような反省の弁を口にされるのだけれど、同僚の方々の見方は違っていたりする。

「そういう問題じゃないでしょ」的な。
「そもそも、その人ってウチのお客さんじゃないでしょ」的な。

ようするに、本質じゃないよ。という「そもそも度が高い」ご意見が出てくる具合なのだ。
(失敗は成功の母的な事例も挙がるけれど)




「そもそもミーティング」を取り入れられている先は、どこでも課題が明確だ。

たとえば「なぜウチに合わないような人まで、他社のお客さんになるような人までやってくるのだろうか?」という風に。

そして、その解消に向けたシナリオへと続く。
「ウチに合いそうな人に集まってもらうためには」と。

(努力すべきこと。必要だと思われるファクター。方法論などを含めて)

とはいえ、高飛車で傲慢な態度で臨むとか、お客さんを選り好みするとか、そういう話ではない。

●ウチはこういう理念や哲学があって、こう考えています。
●だから、こういう商品・サービスがあるのです。
●そして、こういう人に買ってもらいたい。利用してほしいのです。

ザックリだけれど、それらを伝えられそうな切り口を日々見つけ、通じて、丁寧に伝えつづけていくものである。

赤色が好きなみなさん、この指に止まってください的でもある。

「そもそもミーティング」とは、そのチェック機能もあって実施しているのだけれど、「それいいね」という人が来てくれているなという感触は、時の流れと共により確かなものになる具合である。

すべての人がお客さん


営業、販売現場の方々が持つ本能的なひとつだろう。

そして、一つひとつリクエストに応えてあげようという親切心。
相手を理解、尊重しようとする心遣い。
そういう尽くしてあげようとする気持ちもまたそうだと思う。

そういう中、商品やサービスに関連し何を言おうと「いや。でも。」と、反発、否定してくる人がいたとする。
次元を超越しているが如く、交わることを知らない。みたいな。

どうなりそうだろうか。その本能がゆえに。
説明の仕方が悪いのだろうか。何か失礼なことをしてしまったのだろうか。などと、自身を責めてみたり、気苦労が絶えなかったりするかもしれない。

時には、自社や自分の考え自体が間違っているのだろうか。と、信念が揺らぎ、自信をもなくしてしまう場合もありそうだ。

中には、買ってくれた。利用してくれた。と、お客さんになったケースも聞くが、後日、なかなか大変そうなエピソードも耳にする。

ようは説得という領域の中での消費なわけで、何かあればアゲインスト、ネガティブな現象に繋がりやすいのだろう。




やや乱暴な言い方かもしれないが、合う合わないとは大事であり事実でもあるのだよね。

だれかの人格や性格などを否定するものではなく、冬なのに夏物を着ようとする様。いや、磁石の同じ極を合せようとする様に似ているのかもしれない。

この辺りのジャッジや線引きとは、言葉で表現するほど単純ではなく簡単なものでもない。人とは多面的であるわけで。

とはいえ、「森」には確かなヒントがある。
「そもそもミーティング」を眺めるたび、そういう気がしてならないのである。

さ、明日は愛すべき人たちとのゴルフ。
いや、大変お世話になっている方々なのだけれど。
気温も上がり晴天の予報、久々に芝生の上を走り回ろうかね。