世間の絆。協調性。仲間意識。
いまの世はどのような感覚なのだろう。と、先日から考えることでもある。
「なぜ日本人は世間を気にするのか|三浦朱門氏|海竜社」では、日本の発展に大切な役割を果たし、日本人はそれらに支えられてきた。と論じられていたのだけど。
ボクも団塊ジュニア世代。いまだに昭和臭が心地良い人なので、何となく分かる気がしながらページをめくっていた。
さて、昭和臭に比べ、いまどき臭はどうなのだろう。
「古き良き時代」といって懐古するわけだから、フォークの背にライスを乗せて食べる的な。テレビを叩いて直す的な。その頃が良かったという人は多いのかもしれない。
平成の幕開けといえば、1989年である。バブル絶頂の中で開かれた。
代名詞的には、三菱地所によるロックフェラー・センターの買収。
日経平均は史上最高値38,957円44銭(大納会)などの出来事があった。
ブラウン管には、時任三郎が「24時間タタカエマスカ」と歌う姿が映し出されていたり(リゲインのCM 三共製薬)。「ザ・ベストテン」の放送が終わったり。
歌謡曲的には、プリンセスプリンセスの「世界でいちばん熱い夏」。Winkの「淋しい熱帯魚」。ZIGGYの「GLORIA」など。
しかし、ボクの新卒当時、平成7年(1995年)には、バブルという熱への冷却処理はすっかり進んでいた。就職氷河期と呼ばれていたわけで。
いつの頃からなのだろう。これまた冷という形容が世間でも見られるようになったのは。
容赦ない他者への攻撃。言える相手には正義という名の鉄拳を。自らの理屈を通すためには何でもありなどと。
B'zの「LOVE PHANTOM」ではないが「少しのズレも許せない セコイ人間になってたよ」的な。
やや穿った見方をすれば、余裕のない世間感覚が表れている気がしないでもない。物質的には豊かになっているのだけどな。
絆や仲間というワードも、どこかフワッとしていないか。言葉だけが独り歩きしてないか。世間を眺めつつ、ふと、そう思うときもある。
とはいえ、いまどきを嘆いているわけではない。斜に構えているわけでもない。
人に優しくなろう。と、ただ思う次第である。