広告の存在感とは、どれほどなのよ。の巻。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

昔ながらのマス的な広告類。
どんなに販促的な予算を削ろうと、ここにはこだわり続ける。
そういう企業は少なくない。

いっぽう、世の人々にとっての、その存在感。どれほどなのだろうか。

電車内を見渡せば、スマホを握る人たちの姿。
定番すぎるほどの光景だ。
(新聞や雑誌を読んでいる人、あまり見かけなくなったな)

視線の先に映るのは友達のfacebook、関心を寄せる人のtwitterかもしれない。ゲームかもしれない。
はたまたニュースアプリで今日をチェックしているのかもしれない。




テレビ録画も同じように言えそうだ。
再生の途中、どれだけの人がCMまで観ているだろうか。
スキップする人は多いだろうし、そもそもCMカット録画かもしれない。

ようするに、自分の意思。
空いた時間には見たいモノだけをみるのだ的な。
そういう人は多そうだ。




広告類というコンテンツ。
それ自体を否定しているのではない。

が、昔ながらのマス的なノリ。
消費者(顧客)をコントロール、誘導しようとするみたいな。
単にそれだけならば、その効果の肯定は少々難しいわけで。

効果測定が曖昧になりやすい面もあるのは確かだが、広告類へのシナリオを見直す、検証する、そういう時期はとっくに来ている。と、いまさら感を覚えつつも、つくづく思う次第である。

ではでは。