話し手は、ハナシを聞いてくれることを望んでいる。決してコメンテーターは求めていないだろう。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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こんばんは。

ようやく「聞く力(心をひらく35のヒント)| 阿川佐和子氏」を読み終えた。

「ようやく」というのは、つねに先を越されるような不思議な存在で。
コレを読み終えたら「つぎは(聞く力)」となるものの、結局は他の本に出番を譲るみたいな。

こんな感じで何度も順番を抜かされながら、そのときを迎えたのだった。





読書感想文的にいえば、あまり向かないと思う。
「聞く力」のノウハウを覚えたい、身につけたいという方には。

タイトル的には実用、指南というイメージが湧きやすいけれど、阿川氏ご自身の「インタビューの歴史」みたいなハナシである。

ただ、登場する著名人(野村克也、黒柳徹子、遠藤周作など)との対談エピソードを純粋に楽しむのなら向いている。

それら全体がエッセイ的に仕上げられている通り、阿川氏のファンの方も大いに楽しめるだろう。

さて、「相手のハナシを聞く」というチカラ。
個人的にはジックリ考えさせられるモノである。

というのは、相手のハナシを聞くフリをして自分の言いたいことを話す。
こういうシーンが意外にも多いような気がするからだ。

コメンテーター的、批評家的と言った方が正しいかもしれないが、だれかの話に対して「でも~」、「それは分かるけど~」と。
結局は聞き手のモノサシが出てくるような、差し置く感じ。

とうぜん、話し手は聞き手のそれを知りたいわけではないと思う。
自身が伝えたいことをコトバにしているわけだから。

得てして遮られれば不快だろうし、伝わってる感がない上でアドバイスなどをされたとしても余計なお世話だろう。

もしかしたら、「この人はハナシを聞いてくれない人」と認定されてしまうかもしれないしな。

聞くチカラ。
足りなさへの自戒を込めてだが、あらためて噛みしめてみたいと思う。

ではでは。