分析の先にあるもの。過去との境界線以降に何かがある。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんにちは。

名古屋での仕事へ向かうため、新大阪駅に到着。
まだ時間があるな。ということで、新幹線構内のドトールでカフェオレを。





「分析」。
コトバの響きとして、じつに格好いい。

動向分析と要因分析で仮説を立て、検証分析によって本質的な問題点を探し出すのだ。みたいな。

さらに、洗練されたインテリアのように美しい。
折れ線グラフに棒グラフ。
面グラフに円グラフ。
要素棒グラフに層グラフ。と。

問題点も、その解決方法も、具体的対策もハッキリと見えたようなものだ。

しかし、そうウマくはいかないときもある。
同じような問題点や課題が、いつも漂っていたりと。

「分析してる意味ないじゃん」。
そう、何かがオカシイ。
でも、だれがどう考えても単純に分かることがある。

分析結果を出すまでのところは、過去。
グラフのソースとなるモノを集計すれば良い。
つまり、ここまでは間違いようがない。

いっぽう、その解決方法や具体的な対策とは、まだ見ぬ未来のこと。
この過去との境界線以降にオカシサが存在することになる。

というわけで、「これから」。
それをみなさんと一緒に考えるのが、今日のメインテーマ。

ではでは。
そろそろ出発しようかな。