最近読んでいた本、「ゆるやかな生き方 | 五木寛之氏」を読み終えた。
こちらの著者、五木さんのファンだ。
理由を挙げれば、おそらくはこんな感じだろう。
光が当たらない薄暗いところ。
正論ではなく、その人ごとの事情。
人が持つ強さではなく、弱さ。
そういった感じで、中心ではなく、あえてアウトサイドへフォーカスするみたいな。
「正」に対して、王道とはまったく違う角度からアプローチするような。
世捨て人を気取るのでなく、真剣にグレーゾーンへ突っ込むような。
勝手ながら、そういう趣きを感じている。
本書も、個人的にはそう感じられるエッセイだった。
たとえば、人の日常の裏側にある「影」。
ご年配の方でさえも、大きな歩幅で足早に歩かなければならないような社会。
それら「鬱」とも呼べるモノへの語りかけのようだった。
あわただしい日々の中、「自分にご苦労さん」。
そういう人ほど、どこかスッキリ、ほぐれるかもしれない。
中でも、この一節は笑った。
いや、「なるほど」だった。
抜粋
「アンチ・エイジング」ではなく、「ナチュラル・エイジング」を目指した方がいいのでは。
モノが錆びて酸化していくように、人間の心も体も錆びていく。
これは自然な流れであり「アンチ」という表現が引っかかる。
かつて「老」という表現は敬意をこめての言い方だったが、最近ではそうではない。
「老人」というコトバを極力避けるようにしているのも、いまどきの感覚なのだろう。
たしかに、「アンチ」と言ってもね。
むしろ年齢不詳的な不自然さは、違和感や恥かしさのようなものを覚えたりもする。
たとえ芸能人であっても、そうだな。
「いくら何でもやりすぎ」
つい、そう感じてしまう人には「ちょっとなぁ」と、引くような気持ちになったりもする。
「ナチュラル・エイジング」。
良いコトバだ。
外見はもとより、内側の部分。
心や精神的なところで年相応に。
そういきたいものだ。
励まなくちゃな。
自戒を込めて、心からそう思う。
(これでも日々のように反省してるのよ)
さ、神戸へと出発しよう。
ではでは。