お客さまの反応が悪いのは伝えている内容が悪いのではない。その原因はもっと単純なところにある。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは。

仕事が終わりホテルに到着。
このアツさのせいか、どうも頭がクラクラする。
というか、単純に眠いだけかも。



ベッドで横になりながらPCを打とうか?
いやいや、首がおそろしくイタくなりそう


さてさて、販促物とは「販売を促進するモノ」。

それぞれの役割は違っていても、何らかのプラスを生み出したいモノたち。

そうは言っても、その向こうには「相手」(お客さま・消費者)がいるワケで、関心をもってもらえなければ促進の役には立ってくれない。

では、関心をもたれない場合、その原因はなにか。
伝えている内容が悪いのか?魅力的じゃないのか?

たいがいの場合、そういうワケじゃない。
いずれも「誰かにとって、より良い」ものばかりだから。

じゃあ、どうして?

その原因はいくつかありますが、意外にも単純なトコロにあり、そこを修正すれば関心をもたれるケースがある。

今日のミーティングでもそのワークを行ったのですが、その辺りについて書きます。


関心をもたれない販促物の共通点


「老若男女問わず、だれでも良いから伝えたい」。
これがそのひとつ。

「誰に」というよりも「みなさん」に聞いてほしい。
たくさんの人から「それいいね!」と、同意、承認してもらいたい。

こういうスタンスですが、この心理は理解できます。
自信を持って堂々と言えることなんだから。


いっぽう、消費者を「主」としてみると、個人ごとに違う。

性別や世代による違いもあるだろうし、たとえ同性や同世代であっても趣向や考え、捉え方や感じ方も、それぞれ違うはず。

あるいは、いま立っている人生のシーンによる違いがあってもオカシクナイ。

生き方や働き方もそう。
以前のような統一感は失われ、その人が「ヨシ!」とすることも多様化している。


多様化する個人、欲張るとダメ


バラバラの個人を「みなさん」と一括りにして伝えようとすると、どうなりそうか?

誰もが「うん、そうだね!」と言ってくれそうなハナシにしたくなる。
深く掘り下げるというよりも、サラっと表面をナデる感じ。

たとえば、「豊かさ」というキーワード。

「豊かな時間、豊かな人生」など、だれもが「そりゃそうだ!」となりそうだけど「なにをもって豊かなのか?」
それは人によって違う。

たとえば、職場の同僚や周りの人に
「あなたにとっての豊かな時間ってなに?」と聞いたとします。

「オレの場合はこうかな」、「ワタシはこうかな」。
と、統一された答えは返ってこないと思う。

(むしろ、全員が同じならある意味コワい。)

あるいは、「そう言われるとなんだろう?」
と、なかなか出てこない人がいるかもしれない。

つまり、ひとくちにまとめようとすること自体にムリがある。


「みなさん」から「あなた」へ


その前提で考えてみると「こう思っているあなた、聞いてよ!」と、言った方が聞いてくれやすい。

「あっ。オレのことか。ワタシのことね」。
そう気づいてくれるから。

さらにそれには当てはまらない人たちも「なになに、何を話すの?」と、ちょっと聞いてみたい気になる。

そして「なるほど、その考えもアリだな」。
「そう言われたら、そっちの方がいいかも」。
そう気づいてくれる人たちも中には出てくる。

つまり、聞いてほしい人(ターゲット)が存在して、はじめて誰か(マーケット)が聞いてくれる。

これは聴衆が存在する限り、あらゆる販促物をはじめ、プロモーション、シナリオでも言えること。


伝えている内容が悪いのではない


「相手」(お客さま・消費者)に関心を持たれない原因のひとつは、伝える内容ウンヌンというより、誰も気づけないこと。

だから「こう思っているあなた、聞いてよ!」と伝える相手を決めて、その人に通じるハナシをすれば解決できる場合が多い。

もし、「あまり関心を持たれないなぁ」と思われているのなら、「みんなに伝えようとしていないか?」

まずはそこからチェックしてみると修正点が見つけやすいですよ。

ではでは。