お役立ち情報の発信やクオリティの高いコンテンツだけでは選ばれにくい。その理由とは? | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは。
昨日のつづきを書きます。

従来は「情報のクオリティの高さと量」により存在感が出る。
そういう感じだった。

しかし、いまはどれもが「その状態」。

ネット上には、いわゆるお役立ち情報満載のWEBサイト。
クオリティの高いコンテンツなどで溢れかえっている。

紙媒体にしてもそう。
どのツールも情報のクオリティが高い。

そういう状態にあります。



      「どれもが参考になるし、役に立つ」


自由とは、じつは厄介


自分が求める情報に対して、たくさんの正解がある。
一見、これは好ましいかもしれない。

だけど、「数ある中から選ぶ」とは疲れる作業。

「ご自由に選んで」と言われても、選ぶこと自体が大変だし、面倒クサイものだから。

つまり、「人が自由に選べる心地良さ」とは、ある程度選択肢が限られている。

あるいは、それぞれをキチンと消化できる量の範囲。
そういう状態の中でのことと思う。

いまはその許容をはるかに超えているワケですが、こうなると「コレにすれば、こうすれば」と、誰かが意見をくれる。

いっそのこと、誰かが自分に代わって選んでくれたらラクだな、とさえ思える。

ただそうは言っても「誰でも良い」というワケではない。
「自分が認めている人」じゃないとアテにできないから。


存在感を増しつづける個人


少し違った見方をしてみます。

「自分の認めている人」が求める情報の選択肢にいたらどうか?

それはベスト。
その人が発する情報を選べば良いのだから。

では、なにを基準にして誰かを認めるのか?

会社の場合だったら知名度や規模などかもしれませんが、それに比べ個人にはもっと多くの面があるのは確かです。

たとえば、あなたが好きになった人はどんな人?
なんでその人を好きになったんですか?

そう言われても、きっとひとことでは言い表せませんよね。
なかなかロジックで語ることもムズカシイ。
だって「お気に入りの要素の総合」なんだから。

要素とは、たとえばこんな感じかもしれません。


カワイイ(カッコイイ)。思いやり。優しさ。
真面目。物知り。オシャレ。ニオイ。

笑顔。仕草や振る舞い。雰囲気。
考え方や価値観、感性やセンス。

メールやLineの文章。写真の撮り方。
趣味が合う。笑いのツボが合う。

一緒にいると落ち着く。ワガママを聞いてくれる。
話題が尽きないほど、お喋りが楽しい。

阿吽の呼吸というか、妙にウマが合う。
幸せと感じる基準が似ている。

仕事への姿勢、情熱。

(まだまだ挙げればキリがないほどですが)


つまり「人を好きになる」とは、数ある要素や面の組み合わせ。
ひとことでいえば「人柄」と言っても良いかもしれません。

だから「ワタシのどんなところが好き?」と聞き、機嫌が悪くならないで欲しい。

そういきなり聞かれても答えられないし、ゴニョゴニョと口ごもる。つい「全部」となる。
そもそもが抽象的な組み合わせなんだから仕方ない。。。

いや、そうじゃなかった。
ハナシを戻さないと。


個人が主役となって、つなぐ時代


いまやどんなビジネス、商売にもソーシャルでありSNSの存在は欠かせない。

なぜそこまでの存在感になったか?
その道のプロとしての技量、知恵、ノウハウなどをはじめ「個人としてのあらゆる面」を表現し伝えることができるから。

そういう言い方もできる。
つまり、ビジネスでも人柄が大切なんだと。


溢れかえる情報の中では「個人」が頼れる存在です。

だから「個人」を起点として、経由して欲しい情報やコンテンツに辿り着く。
あるいは、判断する、意思決定をする。

あらゆる分野で必然的にそういう流れができている。
ようするに「商売の原点」に立ち戻っているのだと思う。

お役立ち情報もクオリティの高いコンテンツも、たしかに大切。
でもいまや、それだけじゃ活きない。

そこへ繋ぐことができる「個人が主役」であり、その存在が欠かせないのだから。