昨日のつづきを書きます。
従来は「情報のクオリティの高さと量」により存在感が出る。
そういう感じだった。
しかし、いまはどれもが「その状態」。
ネット上には、いわゆるお役立ち情報満載のWEBサイト。
クオリティの高いコンテンツなどで溢れかえっている。
紙媒体にしてもそう。
どのツールも情報のクオリティが高い。
そういう状態にあります。

「どれもが参考になるし、役に立つ」
自由とは、じつは厄介
自分が求める情報に対して、たくさんの正解がある。
一見、これは好ましいかもしれない。
だけど、「数ある中から選ぶ」とは疲れる作業。
「ご自由に選んで」と言われても、選ぶこと自体が大変だし、面倒クサイものだから。
つまり、「人が自由に選べる心地良さ」とは、ある程度選択肢が限られている。
あるいは、それぞれをキチンと消化できる量の範囲。
そういう状態の中でのことと思う。
いまはその許容をはるかに超えているワケですが、こうなると「コレにすれば、こうすれば」と、誰かが意見をくれる。
いっそのこと、誰かが自分に代わって選んでくれたらラクだな、とさえ思える。
ただそうは言っても「誰でも良い」というワケではない。
「自分が認めている人」じゃないとアテにできないから。
存在感を増しつづける個人
少し違った見方をしてみます。
「自分の認めている人」が求める情報の選択肢にいたらどうか?
それはベスト。
その人が発する情報を選べば良いのだから。
では、なにを基準にして誰かを認めるのか?
会社の場合だったら知名度や規模などかもしれませんが、それに比べ個人にはもっと多くの面があるのは確かです。
たとえば、あなたが好きになった人はどんな人?
なんでその人を好きになったんですか?
そう言われても、きっとひとことでは言い表せませんよね。
なかなかロジックで語ることもムズカシイ。
だって「お気に入りの要素の総合」なんだから。
要素とは、たとえばこんな感じかもしれません。
カワイイ(カッコイイ)。思いやり。優しさ。
真面目。物知り。オシャレ。ニオイ。
笑顔。仕草や振る舞い。雰囲気。
考え方や価値観、感性やセンス。
メールやLineの文章。写真の撮り方。
趣味が合う。笑いのツボが合う。
一緒にいると落ち着く。ワガママを聞いてくれる。
話題が尽きないほど、お喋りが楽しい。
阿吽の呼吸というか、妙にウマが合う。
幸せと感じる基準が似ている。
仕事への姿勢、情熱。
(まだまだ挙げればキリがないほどですが)
つまり「人を好きになる」とは、数ある要素や面の組み合わせ。
ひとことでいえば「人柄」と言っても良いかもしれません。
だから「ワタシのどんなところが好き?」と聞き、機嫌が悪くならないで欲しい。
そういきなり聞かれても答えられないし、ゴニョゴニョと口ごもる。つい「全部」となる。
そもそもが抽象的な組み合わせなんだから仕方ない。。。
いや、そうじゃなかった。
ハナシを戻さないと。
個人が主役となって、つなぐ時代
いまやどんなビジネス、商売にもソーシャルでありSNSの存在は欠かせない。
なぜそこまでの存在感になったか?
その道のプロとしての技量、知恵、ノウハウなどをはじめ「個人としてのあらゆる面」を表現し伝えることができるから。
そういう言い方もできる。
つまり、ビジネスでも人柄が大切なんだと。
溢れかえる情報の中では「個人」が頼れる存在です。
だから「個人」を起点として、経由して欲しい情報やコンテンツに辿り着く。
あるいは、判断する、意思決定をする。
あらゆる分野で必然的にそういう流れができている。
ようするに「商売の原点」に立ち戻っているのだと思う。
お役立ち情報もクオリティの高いコンテンツも、たしかに大切。
でもいまや、それだけじゃ活きない。
そこへ繋ぐことができる「個人が主役」であり、その存在が欠かせないのだから。