どんな努力も必ず報われる?ボクの場合、そこまでロマンティストじゃありません。 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんにちは♪

気持ちの良いお天気ですね。


道端に咲くキレイな花の前で足をとめてジ~っと眺めていると、おっ!「てんとう虫」を発見。
春らしさを存分に味わった気分です。




     「てんとう虫の顔を間近で見ると・・・」



さてさて、何という名前の花かは分かりませんが、きっと咲きたいから咲いてるんだろうな。
ボォ~っと眺めつつ、そんな当たり前のことが頭に。


と言っても、意味がよく分かりませんよね。。。


ようするに、努力とか、ガンバルとかではなく、ただ咲きたいから咲く。
どこにもムリのない自然体、そんな感覚です。


そしてまた、ボクもそう生きていきたい。

というようなことを考えてみることに。



というのは「努力」というコトバが、個人的にはあまり好きじゃない。


なので、「努力をすれば何とかなる」といったように努力を美化したような意味合いも好きじゃないですし「何とかなる」とも考えていません。



ところで、なんで好きじゃないんだろうか?

と考えてみると、おおむね2つ。


じつは思考をめぐらす最中、「アレ?どこかひねくれているのか?」と思ったりもしたのですが、根拠があってとりあえず良かった。



では、その2つ。


ひとつは「努力=ムリしてガンバルこと」。
根性がないせいでしょうか。
どうも敬遠したくなります。


ふたつめは、「ウマくいかないのは努力が足りないからだ!」
というようなイメージ。


そんなことを言い始めたら「もっと!もっと!」
と青天井になってしまいます。


それに、もし間違った努力の仕方をしていたら、目も当てられません。
非生産的なことをやり続けなくちゃいけないんですから。
ある意味、大義のある罰ゲームのようなものです。



たしかに、高度成長期やバブル経済期のような右肩上がりの環境下では、どんな努力でも報われた気になれた。

これは、たしかです。


なにをやっても数字や成果は上がったワケですから。


でも、いまやそういう環境は少なくなってしまった。
それはバブル崩壊後の企業業績をみれば明らかなことです。


ということは、ムリしてガンバルのではなく、自らの頭で考え、本質を見出して、それを一生懸命やる。


大切だ、好きだと思えることを真剣にトコトンやってみる。
その方が上手くいくんじゃないかと。



当たり前のハナシですが、好きなことを夢中になってやる。
時間を忘れるほど没頭する。

これらは努力じゃありません。


つまり、他人から見たら「へぇ~努力してるね」ということが
本人にしてみたら「そんなんじゃないよ、好きでやってることだから」。


それがいいんじゃないか。

ボクの場合はそう思う次第です。