こんにちは。
大阪へと戻る新幹線の中、さっきまで爆睡してました。
さてさて、眠気から覚め、読み始めたはコチラ。
「毅然として死ねない人よ。それでいいではありませんか。」
(遠藤周作さん)
遠藤さんと言えば、大学時代に読んだ「深い河」。
インドへの旅、ガンジス川と宗教、人種などを通じて
クリスチャンとしての遠藤さんの世界観が繰り広げられていた。
そんな記憶がありますが、あまり理解はできなかった。
でも、遠藤さんの優しさ溢れるユルさに助けられ、どうにか完走。
そんな記憶もあります。
さて、本書を読もうと思ったのは、ボクにとってタイトルが圧倒的だったから。
「それでいいではありませんか。」
そう言われても「それでいいのか?」
と、心の中でつぶやきましたからね。
だから「なぜ、それでいいのか?」知りたくなったワケです。
そしてまた、ユルい感じで分かりやすく教えてくれるだろう、と。
まだすべてを読み終えてませんが、自然と腹に落ちたのはこの一節。
ココにはこう書いてあります。
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小説家になるため巴里に生まれておればよかったとか、
もう少し頑健な体を持ちたかったとか、
昔は色々と他を羨んだこともあったが、
いまでは「私は私、これでよし」
と自然にそう思うようになってきた。
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たしかに、納得。
自分にないコトやモノは羨ましく感じたりしますからね。
でも、それは仕方がないワケで。
そうは言っても「私は私」と、どこまで達観できているかは分かりませんけどね。
ただ、「これは絶対にダメだな。」と思うことはあります。
それは「他を羨んだとき」、対象に対して攻撃的になること。
ケチをつけること。
「面白くない」という感情が引き起こすんでしょうけど、それは筋違い。
その対象が悪いワケでもなんでもないんですから。
「私は私、これでよし」。
すべてを読み終えたとき、「それでいいではありませんか。」
と繋がりそうな予感がします。
また、少しでも心の修行になれば。
そう期待もしています。