こんばんは♪
さてさて・・・
昨日のつづきのようになりますが・・・
吉田松陰は、勤皇思想、開明主義の指導者とされ
「安政の大獄」により命を落しました。
(安政の大獄とは・・・
大老、井伊直弼が幕府の権威を回復するために
尊王攘夷運動を超がつくほど強権的に粛清したものです。
のちの桜田門の変に繋がりますが。)
そのとき、松陰はこう言い残しています。
=====================================================
もうすぐこの世を去るというのに
こんなにおだやかな気持ちでいられるのは、
春夏秋冬、四季の移り変わりのことを考えていたからです。
春に種をまいて、夏に苗を植え、
秋に刈り取り、冬がくれば貯蔵する。
春と夏にがんばった分、
秋がくると農民は酒をつくって
なんなら甘酒なんかもつくって
収穫を祝い、どの村でも歓声の声があふれます。
収穫期がやってきて
きつい仕事がようやく終わった。
そんなときに、悲しむ人なんていないでしよう。
わたしは30歳で人生を終えようとしています。
いまだ、なにひとつできたことはありません。
~ 中略 ~
ですが、わたし自身のことを考えれば、
やっぱり実りを迎える時期が来たと思うんです。
農業は1年でひとまわりしますが、
人の寿命というものは決まっていません。
その人にふさわしい春夏秋冬みたいなものが
あるような気がするんです。
百歳で死ぬ人は百歳なりの四季が、
30歳で死ぬ人は30歳なりの四季があるということ。
~中略~
わたしは30歳で四季を終えました。
わたしの実りが熟れた実なのか、モミガラなのかはわかりません。
ですが、もしあなたたちの中に
わたしのささやかな志を受け継いでやろう
という気概のある方がいたら、これほど嬉しいことはありません。
いつか皆で収穫を祝いましょう。
この光景を夢に見ながら、わたしはもういくことにします。
======================================================
人生とは四季を巡るようなことであり、
そこには短いも長いもない。
実りある収穫期を迎えたとき、
それは喜びであり、悲しむことではない。
まさに・・・
他を寄せつけない圧倒的なセリフであり、
凛々しさを感じる思想です。
コレを読んだとき、
「ボク自身は、いまどこにいるんだろう?」
と、考えてました。
もちろん、それを知ることはできないけど・・・
「まだまだ、花を咲かす準備すら、できてないな。」
「いや、それ以前に・・・。」
と、そういった未熟さを、ただただ感じさせられます。
今日で6月も終わり。
1年の半分が過ぎたということ。
もう少しビールを飲みながら
この本のタイトルにある「覚悟」について
シミジミと深く向き合ってみることにします。