「覚悟」について考えさせられた日! | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは♪


さてさて・・・
昨日のつづきのようになりますが・・・


吉田松陰は、勤皇思想、開明主義の指導者とされ
「安政の大獄」により命を落しました。


(安政の大獄とは・・・

 大老、井伊直弼が幕府の権威を回復するために
 尊王攘夷運動を超がつくほど強権的に粛清したものです。
 のちの桜田門の変に繋がりますが。)



そのとき、松陰はこう言い残しています。




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もうすぐこの世を去るというのに
こんなにおだやかな気持ちでいられるのは、
春夏秋冬、四季の移り変わりのことを考えていたからです。


春に種をまいて、夏に苗を植え、
秋に刈り取り、冬がくれば貯蔵する。


春と夏にがんばった分、
秋がくると農民は酒をつくって
なんなら甘酒なんかもつくって
収穫を祝い、どの村でも歓声の声があふれます。


収穫期がやってきて
きつい仕事がようやく終わった。
そんなときに、悲しむ人なんていないでしよう。


わたしは30歳で人生を終えようとしています。
いまだ、なにひとつできたことはありません。


~ 中略 ~


ですが、わたし自身のことを考えれば、
やっぱり実りを迎える時期が来たと思うんです。


農業は1年でひとまわりしますが、
人の寿命というものは決まっていません。


その人にふさわしい春夏秋冬みたいなものが
あるような気がするんです。


百歳で死ぬ人は百歳なりの四季が、
30歳で死ぬ人は30歳なりの四季があるということ。


~中略~


わたしは30歳で四季を終えました。
わたしの実りが熟れた実なのか、モミガラなのかはわかりません。


ですが、もしあなたたちの中に
わたしのささやかな志を受け継いでやろう
という気概のある方がいたら、これほど嬉しいことはありません。


いつか皆で収穫を祝いましょう。

この光景を夢に見ながら、わたしはもういくことにします。


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人生とは四季を巡るようなことであり、
そこには短いも長いもない。


実りある収穫期を迎えたとき、
それは喜びであり、悲しむことではない。



まさに・・・
他を寄せつけない圧倒的なセリフであり、
凛々しさを感じる思想です。



コレを読んだとき、
「ボク自身は、いまどこにいるんだろう?」
と、考えてました。



もちろん、それを知ることはできないけど・・・

「まだまだ、花を咲かす準備すら、できてないな。」

「いや、それ以前に・・・。」

と、そういった未熟さを、ただただ感じさせられます。



今日で6月も終わり。
1年の半分が過ぎたということ。


もう少しビールを飲みながら
この本のタイトルにある「覚悟」について

シミジミと深く向き合ってみることにします。



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            「物思いにふけりながら・・・」