こんばんは♪
今日は新撰組の一番隊組長、
沖田総司が亡くなった日なんですね。
この一番隊は・・・
剣豪ひしめく新選組の中でも
いつも重要な任務をこなしたといわれています。
天然理心流、北辰一刀流の免許皆伝者であり、18歳で師範代。
そして、新撰組では撃剣師範。
なんとも彼の凄腕が伺えます。
さて、ご存知の通り・・・
沖田総司は老咳(いまで言う結核)でした。
そんな病の中でも・・・
池田屋事件、禁門の変にも参加し
その後も新選組の幹部として活動を続けています。
また・・・
鳥羽伏見で敗れた新撰組は、
江戸に戻ったあと甲陽鎮撫隊と名を改め、
甲府へと出陣しますが・・・
このときも「ぜひとも参加したい!」
と、気力を振り絞って行軍に加わります。
(故郷の多摩まではなんとか同行するも
さすがに甲府まではムリでしたが。。。)
では、なぜ重病の中・・・
ものすごいシンドイ中・・・
こんなにも気力に満ち溢れることができたのか?
もちろん、その理由は分からないけど・・・
オーストリアの精神科医であり心理学者の
ヴィクトール・E・フランクルが書いた本、「夜と霧」を思い出します。
この中には・・・
過酷で凄惨なナチ強制収容所での
出来事や体験などが書かれていますが、
「何の生活目標も眼前に見ず、何の生活内容ももたず。
その生活において何の目的も認めない人は哀れである。
彼の存在意義は彼から消えてしまうのである。
そして同時に頑張り通す何らの意味もなくなってしまうのである。」
と、述べられ・・・
「なぜ生きるかを知っている者は、
殆どあらゆる如何に生きるかに耐えるのだ。」
というニーチェのコトバを引用して説明しています。
つまり・・・
自分がなんのために生きているのか?を知っている者・・・
自分の人生にハッキリとした目標や意味を持っている者は・・・
ほとんどあらゆるツラいことに耐えることができるんだ。
・・・と。
そう考えてみると・・・
仕事も同じですよね。
「自分の仕事には何の意味もナイ。」
「とりあえず体裁を保つために会社へ行っている。」
と、思ってしまうのと・・・
「自分がやっている仕事には意味があるんだ!」
「人生をかける価値がある!」
と、思えるのとでは・・・えらい違いです。
もちろん・・・
どっちが好ましいかなど、言うまでもありません。
きっと・・・
沖田総司には、ハッキリと光るように見えていたんでしょうね。
そういうことが。