こんばんは♪
さてさて・・・
「新・幸福論/五木寛之さん」を読み終えました。
この本を読んでみよう!と、思ったキッカケは
はじめに書いてあった一文にグゥ~と引き込まれたから!
それはコレね♪
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「幸福のイメージは、時代とともに変わります。
世代によっても違う。
男性と女性、民族、職業によっても異なります。
百万人の人間がいれば、百万通りのちがう幸福がある。
それを承知で、あえて幸福について
正直な感想をのべてみました。
わかっていることは、
いま新しい幸福観が生まれつつある、ということです。」
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この文章を読んだとき、
ボクは虜になったような気持ちになり・・・
五木さんは「なにをもって新しい幸福観というんだろう?」
と、それを知りたくなったんです♪
ワクワクしたような気持ちで読み進めていくと・・・
「そういうことなんだろうな。」
と、ストンと腹に落ちる一節が出てきました。
それは・・・
「小さな幸福が生きる力になる」
というトコロ。
ここには、こう書いてあります。
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たとえば、好きな曲があって、
その曲を何度も聴くと胸がじんとする。
そんなささやかな幸福感、一瞬の陶酔感といったものが、
人を生かしていく力になる。
あるいは、どこかで見ていいなと思った
絵のイメージが心に残っていて、
風景を見たときに
あの絵みたいだと一瞬思ったりすることとか、
木の葉が散っていくのを見て、
ああ、いま木の葉が散っていくんだなと感じることとか、
生活の中でのちょっとしたことへの愛情、
関心といったものです。
そういうものを、
私たちはつい軽く見てしまうところがありますけれど、
人間の生と死を紡いでいくドラマの中で
困難に耐えさせるものは、そんなちょっとした喜び、
そのちょっとした喜びを感じる感情のひだ、
そういうものではないかと思うのです。
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わたしたちにはそれぞれ、好きな音楽があり、
好きな小説があり、この風景が大好きという場所があります。
あるいは、カフェの片隅でコーヒーを飲む一瞬を
愛している人もいます。
だから、私たちは日常の中で自分の好きなこと、
そのことが自分にとってすごく気持ちがいいとか、
自分が幸福感を感じることをもっと大事にしなくてはならない。
そんな小さな幸福感もまた、
こんなきびしい時代に私たちの生きる力に
なっていくのではないかと思うのです。
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たしかに・・・。
大がつくほど納得。
また・・・
なにかホッとするような、
心地良い気持ちにも包まれました。
そして・・・
こういう感情にもなりました。
「大それたことが幸せなのか?」
「人と比べて、豊かかどうか?」
「世間一般の物差しみたいなモノと比べてどうなのか?」
いや、そういうことは大したことではなく・・・
些細なこと、フトしたことから感じること、
自分が心地良く感じれる瞬間、
大切な人がニコっと笑ったとき・・・
そして、生き方という哲学的なこと。
そういう中から・・・
「ヨシ!ガンバロウ!」
と、カラダの中からチカラが湧いてきたり・・・
大切な人や仲間のために
「やってやるぞ!」と勇気がみなぎってきたり・・・
あるいは・・・
妙に心が落ち着いてリラックスできたり・・・
心を満たしてくれるような時間が味わえたり・・・。
そういうことが「生きる喜び」なんじゃないか・・・と。
語弊があるかもしれないけど・・
「超自己中心的な満足感」でイイんじゃないか・・・
とも思ったりします。(ある意味でね。)
また、世の中全体を見渡しても・・・
その人が心地良く感じる幸せみたいなものを
お互いに認め、尊重し合う。
競争じゃなく、共存。
そういった流れが強くなっている。
そういった価値観が幅をきかせてきている。
とも、感じることができます。
この「新・幸福論」という本は、
少し時間がたったのち・・・
あらためてもう一度読み返したくなる本でした。
のちのち読んだとき、
「そのときボクはどう感じるのか?」
今から自分の中で楽しみです。