変えることができるのは「個人」! | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

こんばんは♪


三連休、最終日の夜ですが・・・
神戸には人がいっぱい(笑)


仕事が終わり、人ごみをかき分け向かった先は・・・

「太鼓の達人」(笑)



コンサルタント佐藤琢也のオフィシャルブログ
        「ホント、おスキなんだから(笑)」
        (まだまだブームは続きそうですね(笑))




さてさて・・・
太鼓を叩きまくったあと・・・


クライアント先のマネージャーさんたちと
遅めの夕飯を共にしていると・・・


「やっぱり、そうだよな。」

と、あらためて感じることがありました。



それは、なにか?っていうとね・・・


「できあがっている仕組み」を変えていく、改革していくのは、
あくまでも「個人」。


そう、「人」なんだよな。

・・・ということ。


会社や部署が、より良い方向へと
自動的に変えていってくれるワケじゃないんだよね。




コンサルタント佐藤琢也のオフィシャルブログ
       「会社が勝手に変わっていくワケじゃない。」




さて、この「できあがっている仕組み」とは・・・
「安定した秩序」と呼ぶこともできます。


そして・・・
ある意味、安定しているワケだから
変える必要なんてナイのかもしれない。



ただ、この「安定」の意味を言い換えると・・・


たんなる内部の統制であるとか、


ガチガチな管理や規範であるとか、


「やったことがないこと」=「リスク」
とし、前例がナイことはしない・・・


そういうことにも繋がると思う。



もちろん、その中で発展を続けられるのなら、
それでも構わないと思うけど・・・


ガラパゴス化というコトバがある通り、
なかなか、そうはいきづらい。
と、感じます。



ボクが知る限りだけど・・・


取り残されたような「安定した秩序」、
旧態依然という「安定した秩序」は
いろんな不具合を生み出していくからね。



そう思うと・・・
「安定した秩序」や「伝統」とは・・・


「個人」の意識、志、行動がキッカケとなって
革新を加えられながら、発展的に引き継がれていくもの。

そんな風に感じます。



ちなみに・・・

日本を近代国家へと導いたのは、
江戸幕府という組織ではなく、個人。


そしてまた・・・
同じ志を持つ個人の繋がりが、その原動力になりました。



では・・・
吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、幕末の志士たちは・・・


それまでの「安定した秩序」を

いたずらに壊したかったのか?ただ、かきまわしたかったのか?


・・・そうではないですよね。



大改革の末、日本の良き伝統を壊してしまったのか?


・・・それもまた、違いますよね。



そんなことを思いながら・・・
ホテルの一室でビールを飲んでます。




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      「ではでは、オヤスミナサイ・・・ZZZ」