語 わたしを離さないで | マシュレポ(@ω@)y-゚゚゚

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「視聴率を離さないでぇ!」







「わたしを離さないで」

あらすじ

カズオ・イシグロによる同名のベストセラー小説の世界観を日本に置き換えた
ドラマ

臓器提供という宿命を背負い造られた
クローン達はわずかな希望にすがりその果てに見たものとは… 



さて、語るのが難しい本作。
だけどチャレンジなのよ 世の中基本

このモサァッとした空虚感に決着を


原作小説が発行されたのは2005年で
カズオ・イシグロさんの名前を
イシイ・カズオと呼び間違う恥ずかしい思いをするほど日本的ネーミングの作者で

傑作と評される程なのだから
それを日本でリメイクすれば成功するだろう!

…後にネットニュースで低視聴率という
正にわたしを離さないでな状況となりましたな

厳しいですねぇ


その指ごと~連れてってあげる~♪

この状況を
ひぐらしop歌詞からこの気持ちを抜粋させて頂きました。

さて本作を語るテーマ

何故本ドラマ視聴率はひでぶしたのか

を検証していきます(因みに本作用に上記の
画像の三人の動物に置き換えたイラスト載せようと思いましたがジャッジと被ると思うので辞めました。因みにジャッジって何?な方は検索あるじゃん)

元は実際にクローン羊を誕生させた事で知られる1990年代末のイギリスが舞台で
物語内で人間そっくりのクローンが造られ彼等自身も知らず、心を持って生まれた彼等は夢を持ってたが後に臓器提供で犠牲にならなければならない現実を知る。



羊から発展させてるので
「命の食べ方」等ある種食育に近い
メタファーでもあり、日頃当たり前に
食べてるお肉についての生々しい現実を
描いてると解釈も出来ますが

一方で作られた側クローンの苦悩等の共通点で例えるなら

綾波レイの「私が死んでも代わりがいるもの」


因みに原作者自らによる監修の映画版も
ありますがレンタル店に取り扱ってなかったので見れませんでした

今回10年以上の時を経てそれらの要素を
日本に置き換えた版を作るといえば

「ゴースト」という宇多丸師匠の評を聞けば納得の駄作だったので元が海外(だけに限らず)の作品のリメイクってほぼ微妙な所が目立つ様になる不安がありますがそれ以前

本作をどう置き換え描くのか…

この不安が一番大きく実はゴーストより
一番難しい題材で最終的にこの危惧が
当たってました。

どう言うことかといえば
元が1990年代のイギリスが舞台だから成立していたがコレを日本で置き換えるとどうなるかというと

少子化、高齢化等様々な問題等
原作よりもリンクするメタファーが増えて
本作を日本の現状に置き換えリメイクするとなるとこれからの世の中をどう生きていくのか?絶対考えさせないといけないことになる。

元々原作でも色々飲み込みづらい設定の
臓器提供の理屈として役立てるとして
どうせ殺すんなら臓器だけでなく手足とか欠損してる人々にも役立てるんじゃないとかつい思いつく不謹慎設定やコレを日本で置き換えるするならば少子化問題解決とか出来んじゃないかなあ?



本作を語る前に心配な点といえば

演出家に平川裕一郎さんの名前が

彼の取扱い説明書

平川裕一郎さんといえば監督・脚本、演出等も手掛けてる方で代表作「JIN 仁」
「ツナグ」等で

この方が関わる作品で感じたある手法

師匠曰く「ダブルインパクト」

私命名 「フランダース犬病」

例えば感動させる物語内で 
どや!?コレ泣けるやろ?やろ?やろ?
精神見え見えの口説い長台詞、そのくせ
筋が通らず、作品内のキャラがまるでマインドコントロールされたかの様に納得させる使い古された「ありがとう」&チャララ~BGM

このように平川裕一郎教祖による
平らな教えと書いた「平教」が作り上げられていく日本エンターテイメントで陥りがちなダークサイドの根化

結論から言えば本作は例のフランダース症候群に浸食されてる気がする…(;^_^A

さてもう一つ問題といえば
本作何故失敗したか中身の前に恐らく
去年放送された「明日ママがいない」の影響も考えられます(題名で子役いじるの飽きたし虚しい)

あれも社会派ドラマで、現実離れしてるとクレームが来たらしい(リストカットした人もいたとか)ですが観てない私が本作語る
資格もないですが当時抱いた印象は…


二時間で完結させるべきだったのでは?

と感じる様に元の原作小説では
キャラクター達の葛藤や苦悩等は一応描かれ彼等は一体どうなるのだろう?と話の
求心力となってはいるもののそれらの定められた宿命は最後まで覆らない鬱ストーリー


実はリメイクされた本作の結末も同じで
上記のドラマ当時の印象の様に

本作も二時間の特別番組で完結させるべき
だったのでは?

という気持ちが拭えません

まあ昔放送された「女王の教室」や
「家政婦のミタ」の様な良作があったから鬱ドラマが成功する自信があったのでしょうがこれらはちゃんと起承転結が成立し
カタルシスがありました。


さて本作はどうなのか?(先にネタバレした気がすんのは毎度の事だ)




冒頭、主人公、恭子が手術室で臓器提供の手術を強制的にやらされてるのを眺めてる場面

手術医のやり取りの後でアパートに帰った恭子がまだ使えるのに捨てられてるCDケースを拾い彼女の過去から
現在に至るまでの経緯を回想で追っていく

この始まり方は良く、CDケースが先程の
手術医の「もう充分とったから残りは放っても大丈夫だよ」の台詞と恭子のやるせない感じの表情がうまく絡んで

物語全体のテーマのシンボルと見れるし

陽光学院の恵美子先生の
「あなた達は天使なのよ」と一見良いことに聞こえるけど表情の笑顔が合間って
怖く見える演出はイキガミの冒頭以来の
不気味な感じで不安感を煽りました
 
リメイク用に中井ノエルさん演じる真美という新キャラ

今作舞台が日本なので登場人物も置き換えられてるのは当然の中、唯一原作よりの外国的顔立ちで物語中、恭子にある影響を与えることになる重要な人物ですがそれは
後程詳しく言及。


今作観る動機にもなるクリフハンガー的
演出だけでなく物語を引っ張っていく
メインの三人

主人公、恭子演じる綾瀬はるかさんは
原作者と対談してるらしく、原作に忠実に演じてる方でどういう人物か例えるなら

綺麗な女版アルバート ウェスカー

ただこの人物に関して言いたい事があるのでこれも後程 ばさ…

親友の友彦 演じる 三浦春馬君
進撃の巨人でエレン役が納得なキャスティングで本作での彼の立ち位置は
少年漫画の王道主人公的(ルフィやナルト)
夢に憧れる純粋無垢な好青年。

しかし後に待ってる現実に翻弄される様は
進撃の巨人の時より精神的にえげつなく
追い詰められる辛いポジションで

特に後半行くにつれて表面上は受け入れていても頭では割り切れず終盤今まで抑えてた感情が爆発するくだりは進撃より説得力がありもう観てて辞めたげてもう…と辛くなる

因みに本作で三浦春馬君の末路観たら
進撃の巨人実写版もう一度観たくなる程
彼のキャラに感情移入しちゃいました。


そして美和演じるのは
30年後のドラえもんで中年になったしずかちゃんを演じてる氷川あさみさんです。

最初は恭子に対して意地悪していき
ある場面で引き金ひいちゃうことになるキャラクターだけどそれらは実は
飢えた愛情への憧れの裏返しという

要はツンデレである。

後半、恭子と和解するくだりで
その時の恭子の「ぶっ殺そうと思ったよ」と端からみりゃ物騒な言葉ながらも
それが美和にとって一番らしい望んでた
コミュニケーションが本作中一番感動したかもこの後演じてる氷川さんのある注目場面があるがそれも後程に飛ばします。



ここまで語った様に、最初、正直観るの
苦手派でしたが途中から楽しめました。

なのでラスト 涙で目頭が

ウルッ( ノω-)


熱く…ならなかったぜ
(o@∀@)b


あれぇ?何でだろう…
涙が引っ込んで一気に渇いたぞこりゃあ

これを家のペットに例えると


トイレ中のしいにゃが義理の妹猫に
奇襲を仕掛けラれあと一歩でニョキっと出る筈だった当たりくじが穴に引っ込んでいく感じ…

  
ここまで擁護という臓器を提供してきた訳ですがその残った気持ちを画像で例えると







↑な感じです。


原作もそうだが
本作の登場人物達は基本「犠牲」のテーマに従属する形でしかないし動かない為

結局、奴隷や人種差別問題等扱うものの
結局一%覆らない為賛否が分かれるのもそうだし元がベストセラーだからと言われてますが

正直原作でさえ読み終わった時、
へぇ~あっそう みたいに差別的偽善的に思える結末で

※補足しておくならば所詮人間とはなにかの犠牲なしでは生きられないもの=人間同士は決して解り合えない物と極端ながらも真実を告げてるととれます

本作を日本版でリメイクする際に上記で
語った様に高齢化や介護といった問題の
メタファーが追加されてる中でどう描くかどう改変し本作をブラッシュアップさせるかに対して作り手側が真剣なのかどうか
疑問を感じさせる 癌 があるのでそれを
敢えて語らせてもらう本番!

リメイク版キャリーで
改変点は良く深く描けてる反面、肝心の
後半部が弱くなってると語りましたが

本作も同じ鉄を踏んでる所が何カ所かあり

一番良い改変だと感じた新キャラ真美で
唯一本作の差別的な世界観に対し疑問を抱いてる人物で、タバコ愛用してるところは運命の抵抗を表してるし名前の漢字にこの話全体の真実を描こうとしてる様に感じ

後半彼女が、民衆の前で提供者の人権を
訴える描写は原作で彼等を擁護する場面がなかったし彼女自身提供者しかも手首まで切ってるから説得力が強く最終的に自決してしまう

幸せな人もいる一方苦しんでる人が居るこの場面も冒頭の場面とも繋がってはいるが

えっ?何の為にこのドラマ作ったのというぐらい活かされてない残念な結果に

一応恭子がふさぎ込んじゃうきっかけに
なっているもののそれだけであり
該当演説ジャックしてるんだから恭子がどこかで駆けつけその場に居合わせなければならないが結果だけ知らされる形 


一番感動する筈が逆転負けする場面があり

美和との別れの演出

いざ最後の提供に行く直前
抑えてた死の恐怖が爆発する場面

この演出は良く、彼女の人物を知れば知るほどキツい場面でその後自分が何の為に
生まれてきたのか回想し終了した後の顔をアップで見せる表情とか命の問いとして
描いてはいる同時に


演出の手に余った 瞬間が

連れ去られる美和に付いていく恭子が美和に対し

「貴方は天使なのよ」


…とフォロー(のつもり)するが

フォローというのか?
死ぬのが怖いから叫んでんだろ?

結果、絶望した美和にトドメの一言を刺した様に見える涙の代わりに消化仕切れなかったお米が吹き出す噴飯物

一番お話に対し大きな問いにも繋がるこの感動場面がこの恭子のこの期に及んでのお涙頂戴臭プンプンの残酷な台詞のせいで一気に台無しになる天丼演出でその前の「ぶっコロ」の台詞から実質の有言実行

美和に対する今までの仕返しかと思っちゃいました。

ドラマチックに盛り上げるなら観てるコチラが解りきった説明じゃなく黙って美和の手を握りしめ、ただ見つめるなら説得力があったのに

この場面は言い訳不能に 改悪という名の癌


活かせられてない改変といえば
終盤明らかになる恵美子先生自身が同じ
クローン設定は原作ではどう理屈しても
命を木偶として扱ってた先生の改変は原作より根本の動機も変えて一応説得力はある(あるようにみえる)設定となってますが

でも結局見方を変えればただの木偶として命を扱ってたことだし
そっから原作よりの場面が流れいつの間にか芸術の話に入れ替えられたりとか
どんな真相であれ事実上相手に期待感を煽らせ弄ぶ様なヤッパリ酷い人でしかない

でも善意でやったから良きことって
ヒューイかお前?

改変してはいるものの論理的な説明がなく動機ブレぶれなのでこの先生が
最終的にしたかったのが何なのよく解らない空っぽな人物になってる。

あと活かされない改変要素
 
原作のエピローグ部にあたる最終話で
猶予なんてないと真相を知った友彦が僅かな希望すら折られ感情を爆発させ
拳に血が出るほどガードレールを殴りつける描写や怒りの表情等、真に迫っており

後で恭子にさえ心を閉ざす絶望の状態となる様は観ていてこんな状態に追い詰められ手も仕方ないよな…そんな彼と恭子にとって理解者ぽく登場する龍子先生に説得されるオリジナルのくだりをメインテーマっぽく描いてますが

これまでの半端な改変点に拍車が掛かり
完全に納得出来ない上、逆にこれを受け入れろという方が酷であろう場面となってる。

序盤では提供者の運命を知りそれに否定的反応を見せていた龍子が途中から恵美子先生から真相を先に聞かされ改心するが理由はどうあれアミバ式思考の為
それで納得するか疑問なのが変わらず
前半と後半急に性格変わってる作り手の都合に合わせたいい子ちゃん化し

手紙であなた達を守る計画があると書いていたが恵美子先生に会ったとき計画どこまで実行中だったっけ?

なんかやり取りから既に過去の物になってた気がし計画がありますを何故過去系にしなかったとか彼女自身の善意というより天然
が彼等の精神状態を追い詰めた事になる

更に言えばサッカーしてる息子の応援に
来てる父親の姿をみて真相(?)はこうですと説明されるが本人が目の前に居るにも関わらず龍子の口でのみでしか説明されない
というMGSVの裁判でも証拠の録音テープがあるはずなのにそれをプレイヤーに再生させない以来の謎の処理

仮に父親の口から説明されようと結論は同じだが決定的なのが

龍子先生自身が自分の罪悪感を解消したいが為に用意した辻褄合わせの作り話に見える嘘臭い感じ

息子の名前がひろきってたまたま同名だったのかもしれないじゃんか


そのくせ学校から逃げるひろきくん自身が運命を受け入れたとかそんな説明や回想等は一切なく完全にないがしろ

全部一方的に恵美子の口からでしかされないため 何言ってんだコイツ?としか思えません


更に恵美子先生の台詞絡めたら
全部コイツのせいじゃん!


彼女の軸そのものをブラすような結果になる二杯目の天丼演出

そんなこんなで
あなた達のお陰で彼等が生きてるんだよ
的メッセージを言って

それに友彦が自動的に受け入れる


何か?底辺側の人間は這い上って
夢を目指す事すら許されないのか?

夢を挫折した人間が、かつて自分が目指した同じ夢を追ってる子供を見て自動的に運命を受け入れる描写は無神経且つ若者に対して抑圧的な結論

しかも人間側で五体満足のあんたに言われても全く説得力もない

そもそもかつて自分が抱いた同じ夢を追う子供っていってもその子供がいつか主人公とおなじぐらいの歳になっても夢を断念して挫折しないって絶対の保証ってないですからね



良いことのつもりが逆に嫌な気分にさせられるこれが本作一番の欠点の癌と言える

コレら物語全体の歪みの集まって出来てるのは実は主人公の恭子で原作に忠実と述べましたが見方を変えれば型にはまってるだけで周りの状況にただ流されているるだけで他のメインキャラと比べ実は一番人間らしさを感じないロボットみたいな人になってるし前述した例の天丼台詞のせいで人間の言葉とは思えないなぁな感じ

ウジウジして悩みはする…けどもそっから自分で運命を心から変える気がある人には感じられず

他の二人の様な感情の爆発を最後の最後も見せてくれないままなんで

最後に恭子が死んでいった皆の想いを背負って生きていく様には思えない

最後の改変点も改変といえるのか微妙で原作だと提供通知が来てやがて死んでいくのが説明されたが本作はなかなか来ないだけでコレ恵美子先生が望んだ様に彼女だけ生き延びられたとも解釈もありますが

ただ単に忘れられてるだけの可能性もあるわけでよりモヤっとしました。

劇場版か第二期でも狙ったんでしょうかね?


なので最終的に観て感じたのは
生きていくんじゃなくて生かされてる話でしょ?この二つの単語似て非なる物だし

幸せな人がいるんだからそれで良きことの様に着地させてはいるが

じゃあ底辺で苦しんでる人達は不安を抱かず妥協して生きろという事なのか?

それは惰性だから

真に生きるというのは主体性を伴う物だから

ということで改変点としても中途半端で
原作でさえ元々微妙に思う点がより強調されストーリー上のフラストレーシヨンが何一つ発散されないまま終わるので見終わって「苦しんでる人達が居るのだから自分は前を向いて生きてかなくちゃ」みたいに感じずむしろ納得のできない違和感みたいなモヤモヤが付きまとったのが事実で

しばらく鬱気分が晴れず「明日ママ」で
自傷した人の気分が解った気がした


因みに本作と似たような話でいえば
「鋼の錬金術師外伝 盲目の錬金術師」があり描いてるテーマは本作と酷似してるが人間の愚かさや偽善性をオチの台詞に全て
表してるのでアレの方が読み終わった後も
考えさせられ

もう一つハッキリ感じた本作がやろうとしていたのは













仮面ライダー555です

平成ライダーシリーズの中では傑作といえる子供向けというより大人向けなダークな世界観でアレの方が比べるまでもなく
人種差別問題やモラルが崩壊する世の中どう夢を抱いて生きればいいのか描きってるし結末も周りから見ればバッドエンドだけど主人公にとってそうじゃないハッキリ納得させられるので本作ははっきりヒーロー物に及ばない

なので本作も上記の作品同様、我々人間は所詮何かの犠牲の上に立って生きているんだという事をハッキリ描かなければならなかった。

じゃなければ真実が何の為に訴え劇中死んでいったのか解らないことになる。

勝手に考えた最終回

希望を折られ絶望に墜ちた友彦、しかも周囲はクローンだからと人として見ない環境の末提供の前日、友彦は一人全てが始まった陽光学園に行き現在の責任者をナイフで切りつけ人質にとる



陽光学園へ向かう恭子、そこで警察に包囲されてる中、今も刺し殺さんばかりに友彦がナイフを突きつけていた

友彦は叫ぶ
「何で俺達が死ななければならないんだ!俺達が居るから皆救われ感謝してる人だっていた、だけど全員そうじゃない!
誰も俺達の事を知ろうとしてないじゃないか!」

怒りで我を失い男の喉元の皮にナイフを入れる友彦を止めようと恭子は
「そんな事をしても意味がないよ!
死んだ皆も生き返らない…美和も喜んでくれないよ」と叫ぶが

友彦は恭子に言う
「勝手に俺達を作り面倒な事を全部押し付けられ最後にいらなくなったらゴミ同然捨てられるじゃないか!恭子は悔しくないのか?!皆死んだ、美和も…全部コイツ等に奪われた…こんな気持ちになるんだったら
最初から…心なんて入れてくれなかったら良かったじゃないかぁっ!」

その言葉に真実の最期を思い出す恭子
ナイフに力を入れようとする瞬間

恭子は友彦に告げる

「それは違うよ!」

「恵美子先生は私達を天使だって言った
病気で苦しんでる人を救うための犠牲になることだと思ってた…私達の事を冷たくし人として見てくれなかった…友彦の気持ちは解るよ…でもそうじゃない…恵美子先生は私達をいや私達と同じクローンを生かそうと努力してくれてた…ひょっとしたら
昔みたいに皆と一緒に居られたかもしれない…でも残された私達には別の役目があるんじゃないの!これからも私達と同じクローンが造られてはやがて提供に回され奪われる…私達が救うのは病気に苦しむ人だけじゃない!もう一つ救える命があるって事だよ!それを捨てちゃって本当にいいの?」

友彦「何もかも遅いんだよ!もう生きるだの死ぬだのもう全部どうでもいいんだよ!」

そんな友彦に恭子は告げる

「もしまた心を持って生まれ変われるなら…私は友彦と一緒に生きたいよ」


その言葉に友彦は無表情のまま涙が溢れ
人質を離し力なく崩れていく
そんな友彦を恭子は静かに抱きしめる。

そして予定通り友彦は提供を終え、残った恭子にも通知が来てやがて終了していった

そして時が経ち、海岸で楽しげで走ってる三人の男女 顔はよく見えないが
彼等は学校の卒業後の進路について
語り合いまたここで三人揃うことを約束し別れそれぞれの道を歩んでいった。

せめてこういうシナリオになっていれば
納得だと思う妄想してみた。


強いて言えば。キャスティングは良いし
大友節で有名なゲスト大友康平さんが三浦春馬くんにCD渡すくだりは良かった

メインの三人の子供時代を演じた子役達の虚ろな死んだ目演技も神がかっておりました。

そういうところは良いのに最終的に
勿体ない気がした。

しかし総評するならばかなり中途半端な出来で
全体的に無抵抗主義なだけの作品で 命 をテーマみたいなこととか劇中さんざんぱら言ってたりしてますが一言でまとめるなら

アンタそんな命とか意識して作ってないっしょ?

余談ですが本作を園子温が手掛けてたら
どうなっていたのか気になりました。
残酷な世界観を描ける監督と言えば実は
あの人しか居ず今思えば園子温版
リアル鬼ごっこは正に本作のテーマの答えとなってたよなので

結論
「園子温版私を離さないで観たいです」

オススメ度(星の代わりに髑髏を並べた)

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