先日、TBSテレビの報道番組で、偶然目にしたのが、沖縄の全身写真家(自称してるのだろう)・石川真生さんが、自衛隊石垣島駐屯地を取材した後のインタビューで「ヤマト(日本)は馬鹿タレ、沖縄はヤマトが生き残るために再占領された!」と彼女が述べていたのがとても印象的だった。

 

                 

 

その後はこの番組に釘付けになり、彼女の心酔する石垣島で活動する「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」代表・山里節子さんの体験談:「太平洋戦争時、石垣島で旧日本軍に住民が強制的に疎開させられた挙げ句の果てマラリアに感染した住民3600人が死亡した」という説明に胸を痛めた。

 

さて、今は亡き作家・大江健三郎が、「沖縄ノート」の中で、八重山の島民の暮らしを詳細に描いている。

 

特に、喜舎場永侚著「八重山民謡誌」と沖縄タイムズに掲載された「新南島風土記」から、沖縄について彼が鋭く指摘していたことがある。

 

西表島の西北部に村落が無きために異国船の監視と救助のため、そこに野浜(別名、カニク地)と称する肥沃の土地と良港があったから、肥沃砂質土壌の平野と良田地帯の開拓のため、人口調節の見地からの四条件から強制移民を断行されたが、今は廃村となってしまった。

その崎山の廃村は、東方崎山港(与那国)に臨み、海岸から急傾斜をなし、そもそも部落が建設されるようなところではなかった。その上、マラリヤは峻烈を極めていたので廃村の悲劇を産んでしまったのである。

 

沖縄本島の人が八重山を評して、”ヤキー”の島と呼ぶことがある。ヤキーとは、古くから八重山にあって多くの人を苦しめ、人命を奪った風土病マラリヤのことである。

この強制移民は、1637年から1903年までの260余にわたり、八重山の人民は「人頭税」によって徹底的に搾取された。

 

前述の報道番組の中で、山崎節子さんが、「太平洋戦争の沖縄戦で、石垣島では日本軍に強制疎開させられた住民の多くがマラリヤに罹患し死亡した』語っていた。ヤマト人は沖縄の人にとっては悪魔以上の存在で、今でもそれは変わっていない。

 

さらに、第二次世界大戦後に八重山群島政府ができあがった時、琉球は薩摩の巧妙な搾取手段にならって人頭税という過酷な搾取を取り続けたとのことである。

 

TBSテレビの報道番組で紹介された沖縄の全身写真家・石川真生さんの写真展が以下の如く行われる。