さて、最終回を書きます。

 

ITバブルの頃のお話で、佐高氏がコメンテーターで出ていたTBSのサンデーモーニングで、司会の関口宏が今話題のMHKってなんですか?と同氏に尋ねた。

 

Mは村上、Hはホリエモンでしょ、そこまではスラスラと回答できたが、問題はKであった。

 

最初は躊躇したが前の晩のアルコールが抜けていなかったのだろうとついそれは木村 (きむら たけし)でしょとかなり勇み足の発言をしてしまったそうである(結局は正しかったわけですが)

 

木村は、2003年当時「20億円集めれば銀行をすぐに作れる。」と豪語し、東京JC入会希望者として出席していた消費者金融の資金元である卸金融を手がけていたノンバンク「オレガ」の落合伸治が20億円用意し、木村にアドバイスを受け「中小新興企業融資企画株式会社」を設立し、また、同年、東京JC理事長の平将明も銀行設立計画に賛同し、さらにJC会員約90人から1億円が集められた。

 

同年8月20日に予備免許申請が金融庁に受理され、同日夕刻、落合、木村、平の3人が「日本振興銀行設立」記者会見を行った。以降、新聞や雑誌など多くのメディアで「東京JCが新銀行をつくる」と事実に反する報道がされることとなり、東京JC事務局にはOBからの苦情や一般からの問合せが殺到した。

 

結局、木村は2010年、金融庁からの検査忌避の告発を受け、警視庁が日本振興銀行を捜索し、7月14日、警視庁の取調べを受け、同日銀行法第63条第三号違反容疑で警視庁に逮捕されるのである。当時は佐高氏舌禍だったかも知らんが、大した情報力と胆力と言えよう。

 

最後に首相・阿部の一強になぜなってしまったのかというお話で締めくくる。

 

答えは清和会と宏池会の確執に尽きるのである。

 

清和会:福田赳夫→森善郎→小泉純一郎→安倍晋三

宏池会:池田派大平正芳鈴木善幸宮沢喜一加藤宏一

 

宏池会は、池田勇人によって創立されて以来、大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一と4人の総理・総裁を輩出、野党時代にも河野洋平、谷垣禎一と2人の総裁を出しており、自他共に保守本流の名門派閥出会った。

 

元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成されたという沿革もあり、今日に至るまで政策に通じた議員が多く在籍している。しかし政策に明るいが政争に弱い面が出て世にゆう加藤の乱で命脈が尽きた。

 

ここから今に至る自民党の大きな変節が始まるのであった。