スポーツ界における広告代理店の繁殖ぶりは、ますます広がる一方で、電通や博報堂に限らず、スポーツ・マネジメントを専門にする代理店も激増している。

 

そして問題は、その大半が 「スポーツはどうあるべきか」ではなく、「大金をせしめるにはどうしたらよいか」が先にあり、スポーツの未来を語り合って、熱く共感できるような人は滅多にいない。

 

 彼らの多くには、「お金が生み出せてメディアも関わって人気になれば、結果的にそのスポーツは繁栄する」という論理を前提に一大利権産業になっているわけであり、一方で、「お金が生めそうもない競技には見向きもしない」のである。

 

そうなると広告代理店に相手にしてもらえない競技団体は、自らアイディアを生み出す方向ではなくて、なんとか広告代理店やスポンサーに声をかけてもらえるよう、オリンピック種目になるための努力に懸命になったりするわけで、本末転倒の現象がスポーツ界を覆っているわけである。

 

 

もともとスポーツ情報をお金にする構造を思いついたのはアディダスの二代目ホルスト・ダスラーであり、そのダスラーとともにIOCの当時のスポーツマーケティング代理店ISLを設立したのは電通の服部庸一で、その後のスポーツ国際情報戦略のネットワークを築いて行ったそうだ。

 

 

しかし、ホルスト・ダスラーは51歳の若さで病死、リーダーがいなくなり、求心力を失ったアディダスは後継を巡って迷走、一時は経営権がフランス人投資家の手に渡るなど混乱する内に、ナイキに追い抜かれました。

そしてISLもタガを失い、次々と有力幹部が離反、苦し紛れにテニスや南米サッカー、カーレースにまで手を広げましたが、高額の権利取得で損失を重ね、2001年に破綻してしまいました。

 

現代の「五輪招致の成功にはコンサルタントの契約が必須」であるという現状となってしまっています。

 

 

もともと五輪立候補都市に対して、招致活動を指導助言するのは、その開催都市のある国内オリンピック委員会であり、いわゆる五輪コンサルタントが有している程度の情報を蓄積していないのではどうしようもないのです。東京も電通の力を借りなければ招致にはこぎつけられなかったでしょう。

 

かつて長野冬季五輪時には、JOCが日本体育協会から独立した時で、新生JOCとして、その国際委員長に国際卓球連盟会長の荻村伊智朗氏を招き、彼のリーダーシップの下、当時のスポーツ界の国際通を少数精鋭で集めた。そしてそれぞれが収集した情報を分析して招致戦略を構築、長野招致委員会への助言に尽くしたそうです。

 

 NOCとして日常から各国NOCとの交流を深め、援助の必要なNOCには協力し、IOCやアジアオリンピック評議会(OCA)、そしてIFなどの国際機関からの情報を収集し、オリンピック運動の具体的施策を提言するなどの活動をしていれば、そこに蓄積される情報は、コンサルタントの掌中にあるものを遥かに超えるものになっていく事でしょう。

 

また、そこで得られる国際的信頼は半永久的財産ともなるわけです。

 

当時の荻村国際委員会はそれを求めて行動されたわけで、その継承がちゃんとなされていれば、今のようなコンサルタントに丸投げするようなことはないわけです。

 

もしあったとしても、戦略に基づいてコンサルタントを利用する程度で収まるはずだと思われます。

 

オリンピズムを尊重した五輪招致活動を指導する国内オリンピック委員会の日常的な仕事こそ、五輪招致不正疑惑をなくす唯一の方法だと思われるのですが、完璧な丸投げ体質となってしまった今の日本には到底無理なお話でしょう。

 

さらに驚くべきは電通、博報堂(通称デンパク)が「日本原子力産業協会のメンバー」でもあり、「原発、軍事国家推進の洗脳活動」までやっているというのだから、こんな危険極まりない情報を国民に報道されたら政府としてもまずいわけなのだろう。