なぜ沖縄が21世紀の今になっても米軍の基地化されているのでしょうか。

 

 

それは事実上、今も沖縄は日本の固有の本土ではないからです。

 

 

敗戦時最終的には固有本土が残ればよしとする日本政府の方針があり、うち固有本土とは沖縄、小笠原、樺太、千島列島は半分でも残ればよしと考えられていました(実質残ったのは小笠原だけでした)。千島列島の択捉・国後はソ連との友好関係を阻止しようとするアメリカ国務省ダレスの策謀で手放さざるをえませんでした(ウィキには、1956年8月19日にダレスは、日本の重光葵外相とロンドンで会談を行い、重光に対して北方領土択捉島国後島の領有権をソ連に対し主張するよう強く要求し、二島返還での妥結をするならば、沖縄の返還は無いと指摘して、日本側の対ソ和平工作に圧力を加え、10月の日ソ共同宣言で北方領土は返還されることはなかった。とあります)

 

沖縄戦敗退後、所詮沖縄は昭和天皇及び日本の支配層からは見捨てられる運命にあったわけです。

 

 

「昭和天皇の沖縄メッセージ」

昭和天皇の生涯を克明に記録した「昭和天皇実録」が公開されました。

中ではアメリカ軍が沖縄の軍事占領を継続することを昭和天皇が望んだとされる「沖縄メッセージ」について直接には触れず、アメリカ側の資料を紹介しただけに止められた。

 

「沖縄メッセージ」とは、終戦から2年後の1947年9月19日、昭和天皇が側近の寺崎英成を通じて、GHQ外交局長のウィリアム・ジョセフ・シーボルト氏に伝えたとされる昭和天皇の意向である。

 

1979年にアメリカ国立公文書館でシーボルト氏が残した文書が見つかり、1947年当時、天皇がアメリカによる琉球諸島の軍事占領継続を望んでいたことや、沖縄占領は日米双方に利益をもたらし、共産主義勢力の増大を懸念する日本国民の賛同も得られるなどと述べていたことが記されていました。

 

「この報告には、天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである旨、さらに、米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべきであると感じておられる旨、この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろうとのお考えに基づくものである旨などが記される。」

 

そして、憲法第9条2項に戦力放棄とあるのにも関わらず、安保条約時には沖縄の米軍基地には、すでに1300発もの核兵器が秘密裏に隠され、中国、ソ連を核攻撃できる状態にありました。

 

 

中国、ソ連から言わせれば、「日本の憲法は第9条」はどこが平和憲法なんだ、日本自体が欺瞞に満ち満ちた国であり、アメリカと一体となった軍事基地なんだと思われてしかるべきものでした。

 

1952年、吉田茂のごり押しで「サンフランシスコ講和条約」及び「日米安保条約」を同時に結んで日本は独立を回復したはずたったのですが、実際は依然としてアメリカの軍事占領下に置かれていたわけで、外国軍が駐留している国は世界的にも独立国とは言わないので今でも日本は独立国家とは言えません。

 

例えばイラク戦争ではあれだけボロ負けしたイラクでさえもアメリカからの侵略から8年で米軍を完全撤退させているのです。

 

だから日本の平和憲法は世界中が軍拡をやめて平和になりましょうなんてものではまるっきりなかったわけです。日本はアメリカに守ってもらうことで経済最優先で行く道を選び、また過去に植民地化した中国・朝鮮には敗戦国としては常識の賠償金も払わず何ら贖罪もせず、浮いた金で経済大国として肩で風きって優越感に浸って今までやってきたわけですが、それももういい加減にやめないと衰退を始めた日本にとってアジアでは孤立した寂しい未来しかのこらなくなるのではないでしょうか。