もう数年前の話、自らを純文学作家だと称する村上春樹がレイモンド・チャンドラーの代表作『ロング・グッドバイ』(早川書房)を新訳し、多くの読者に読み継がれてきた清水俊二さんの名翻訳『長いお別れ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)から半世紀、男の美学をはやらせたハードボイルド小説を、新たななまっちょろい都市文学(?)としてよみがえらせたのだそうだ(読んでないので知らないが)。

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さすがに売れっ子作家だけに村上版の初刷りは10万部で、発売と同時に5万部の増刷が決まり、「卑しき街を行く誇り高き騎士」などという生き方の美学が信じられなくなり、「おやじのハーレクイン・ロマンス」とも評されるほど長期低落傾向にあるハードボイルドの世界では当時異例の売れ行きになった。

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早川書房ではチャンドラー文庫5作品の重版部数が80年代には150万部あったのが、90年代には100万部、2000年だいにはいると約20万部程度と低迷していた。降って湧いたような村上版の刊行にあやかってこれを追い風にしようと全国1500の書店で「チャンドラー・フェア」まで開いたそうだ。

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なお、2009年でチャンドラーが没後50年を迎え、著作権が切れ始めることもこうした新訳が現れ出す背景にはあったようだった。

チャンドラー長編5作品の独占翻訳権を持っている早川書房では、村上春樹に『さらば愛(いと)しき女よ』などの翻訳もさらに依頼した。

 村上版だけで30万部以上を狙うという降ってわいたチャンドラーブームだが、それがハードボイルド再評価にはすんなりつながらないのが解せないのだ。

 というのも「村上版では、長いあとがきにも帯にも一切ハードボイルドということばが使われず、『準古典小説』と定義されている。これでは村上ファンが一時的にチャンドラーを読むようになっても、ハードボイルドというジャンルの復興にはつながらない」
 
あとがきで村上は、ハードボイルドという言葉を使わない代わりに「いわゆる『非情』系統の文学」という表現を使った。
意図的に手あかのついた「ハードボイルド」ということばを避けたことは確実だ。
また、チャンドラーの作品が『本格小説=純文学』の世界に影響を与え、「少なくとも僕はずいぶん影響を受けた」とも記す。



 チャンドラー作品を「準古典」と位置づけた村上版によって、その作品群は現代にも通じる都市文学として読まれる可能性が広がった。
しかし、それはハードボイルドというジャンルには「長いお別れ」を告げるもののようだ。
村上という作家の姑息なマーケティングを感じざるをえない。

自らの作品群は明らかにハードボイルド作品だとしか思えないし、とても純文学だとは思えない。

最近は、ファンにはハルキストはやめにして村上主義者としてほしいなどと言ってるそうだが、村上といえば芥川賞の「龍」だろうし、春樹主義者というならまだわかるけどそんなことはどうでもいいのであるよ。

ノーベル文学賞などとは到底縁遠い、好きになれない作家であることには変わりはない。