今年のSMAPの解散がらみ事件、とうとうやったかって感じだったけど、結果はメンバー全員によるお詫びであっけなく勝負がついちゃったようだね。

sうま

ジャニーズはTOKIO、嵐、V6、関ジャニ∞、KAT-TUN、NEWS、Hey! Say! JUMPなどを仕切るメリー氏の娘の「ジュリー氏(昨年、週間文春の記事で次期社長候補と書かれたことに候補とはなんだ次期社長に決まってるだろうと母のメリーさんの激怒を招いた)」と、SMAPを育て、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、中山優馬などを手がける元飯島マネージャーとの間で真っ二つに割れていた。

ここでメリー氏が文春に噛み付いている内容はあくまで社長に実際なるまでは「候補」で間違い無いと思う(人間何があるかわからないわけであるから)が、まあ我が子かわいさのあまりの発言でしゃあないなということだろう。

でも今回の騒動、結論から言っちゃうと元飯島マネージャーの思い上がりが起こした故の出来事だといえるでしょう。

ファンなら当たり前のことでしょうが、そもそもジャニーズ事務所とは、創設者の喜多川擴(ジャニー喜多川)が1950年代初頭に知人が作った野球チームを真似て自らも野球チーム「ジャニーズ」を作ったのが始まりなんだそうだ。
そしてなんと、その当時の応援団には松島トモ子がいたそうで、プロ球団や力道山からも支援されていたらしい。

そして1962年1月過ぎのある日、野球チームでたまたま球拾いをしていた仲良しメンバー4人組を誘い、映画『ウエスト・サイド物語』を観せに連れて行くとそれに感動を覚えた4人組が同年4月に「ジャニーズ」を結成したとされている。

ジャニー喜多川(本人は同性愛者であり、2003年に事務所所属のタレントに手を付けて同性愛行為を行った事が裁判で認定されている。)の姉・メリー喜多川は1950年代にカウンターバーを経営しており、バーの客だった東京新聞記者だった藤島泰輔と結婚し、弟のジャニーが事務所を興すと、メリーもバーを閉店して事務所の経理を担当するようになったそうである。
当時はまだ零細事務所のマネジメントは渡辺プロダクションに委託していたそうだが、1962年6月に独立し、ジャニーズ事務所を創立し1975年1月株式会社になった。

事務所

しかし、元々は代表・ジャニー喜多川の個人事務所で正式名もなく「ジャニーズの所属事務所」の意でこの名を使用していただけだったらしいとあるようにジャニーズ事務所といえばすごい事務所だと思いきや、いかんせん今でもワンマン経営のあくまで個人事務所なのである。

それは例えば、ジャニー喜多川が認めなければ、今でも所属タレントはCDデビューすらできないのが如実に示しているわけである。

そこで一般企業のようにはいかんということで、今回のような思い上がりの元飯島マネージャーが、メリー氏に一生恩義(目をかけられてタレントのマネジメントについてはすべてをメリー氏から学んだそうだ)を持ち続けてジャニーズ事務所を盛り立てていくべき参謀的存在でいるべきであったのだ。

ところが勘違いも甚だしくSMAPの存続の危機にまで追い込んだ彼女の行為というのは、戦国時代ならば主への謀反ということで斬首のうえ晒し首でしょう。

昨年の「週刊文春」のインタビューでは、メリー氏がインタビュー中に飯島氏を呼びつけ、記者の前で「飯島、私はこう言いますよ。『あんた、文春さんがはっきり聞いているんだから、対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい』と言いますよ」「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます。それしかない」と明言している。

まり

そういえば飯島派独立に向けた中居の決意の表れとも思われるような伏線的な番組があったね。

こちらの方がSMAPの謝罪なんかよりよっぽど面白かったけど・・・

続く・・・