孫子は「戦争」というものを極めて深刻なものであると捉えていたようです。

それは「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」(多少まずいやり方で短期決戦に出ることはあっても、長期戦に持ち込んで成功した例は知らない)ということばも、戦争長期化によって国家に与える経済的負担を憂慮するものである都言えるでしょう。

この費用対効果的な発想というのも、国家と戦争の関係から発せられたものであると言えるではないでしょうか。

この考え方を、日本は中国との戦いを始まる前に、よくこの孫子の教えを守るべきでしたね。軍部の誰一人として先を見通せる存在に不足していました。だいたいアメリカという国を実際見て知っていた日本人は取るに足らなかったそうで、その時点で「敵を知らずして」ができていませんでした、そして結局、太平洋戦争でも中国での同じ過ちを繰り返すわけです。

孫子は当初、敵国を攻めた時は食料の輸送に莫大な費用がかかるから、食料は現地で調達すべきだとも言っているそうです(この時代には兵站の概念はまだなかったのでしょう)が、この点だけについては、まるごと真似した旧日本軍が惨敗を喫したのも兵站というものを軽視していたからに他ありません。

現地での調達は合理的かもしれないですが、そこに住む住民たちを塗炭の苦しみに追い込むわけで、これには到底納得のいかない考え方だと私は思いますね。
さて、ドラマの方ですが、呉・楚・越の3国は停戦和議の8年後、越王允常が死去し勾践が呉王に即位します。

そこで天下制覇の夢を捨てきれない呉王・闔閭は、とうとう越侵攻を決意するのです。

呉王

しかし孫武は「国王の喪中に侵攻すれば怒りを買うし、義憤する兵ほど恐ろしいものはないからだ。」として頑としてこれに反対しました。

孫武は必死の思いで闔閭を諫めるが、闔閭は一蹴し、夫差、終累らを率いて無謀にも越に進軍してしまうのです。
戦