郢の民は呉軍に略奪され、特に女たちは悲しい境遇にあったのです。

霊樾姫の身を案じる孫武は、夫概と碁の勝負を願い出て「勝ったら霊樾を自分にくれ」と言うわけですが。それはかつて霊樾に命を助けてもらった恩を孫武は忘れていなかったからなのです。

そこで提案を夫概に拒まれると、孫武は霊樾姫を逃すよう進言するが、逆に知略に富む霊樾姫は夫概(ほんとフガイない奴) を操りたいがために、孫武の厚意を拒むのでした。

 その夜、孫武が闔閭のもとへ行くと、闔閭は楚を省いた勢力図(楚の治世など眼中になしということでしょう)を見せ、そして天下を手中に治めるという大望を遂げるには孫武の力が必要であると力説するのであった。

↓呉王・闔閭
 呉王

その間、伍子胥は平王の墓を暴き、なんとその亡骸にムチを打っていた。
他の将軍たちもこれには呆れるばかりであった。

特にその非道な有様を密かに見ていた楚の将軍・申包胥は、我が身の危険を顧みずに止めさせようと群衆の中から飛び出した申包胥になじられ、殺してやると激高する伍子胥だったが、伍子胥の恩人の息子が現れて、申包胥の助命を嘆願し、伍子胥はこれを聞き入れるのだった。

 その頃、郢の城内では楚人の不満が頂点に達し、呉兵の襲撃事件が起き始める。これに怒った闔閭は、楚の象徴である九龍鐘の破壊を命じるのだが、これに異を唱えた漪羅に激怒した闔閭は、ムチ打ちの刑を命じた。
しかし、孫武が自身が代わりに罰を受けると申し出たので、闔閭は孫武に罰を下すのだった。

 その夜、王位への野心を抱く夫概は季札のもとを訪れ、自身の味方に引き入れようとするが、季札はこれを拒否するのであった。