策士策に溺れるとは、策略に巧みな者は策を弄しすぎて、かえって失敗するものであるというたとえで、自己過信に陥ることを戒めるときに使われます。

それは、蜀が三国志の曹操の頭の良さを逆手にとった作戦をたてて、これを打ち破りましたが、まさにその時諸葛孔明が曹操に対して「策士、策に溺れる」と言ったと言われています。

なお、曹操が孫子を崇拝していたことについては、以下からも推察できそうです。

紀元前515年頃、孫武本人によって素朴な原形版「孫子」が著された後、後継者たちによって徐々に内容(注釈・解説篇)が付加されていき、後に曹操の手によって整理され、今日目にする形になったようです。

今回のドラマを見て、曹操と同じような明晰さについて比類なしの孫武ですが、やはり一人の人間としてあてはまるのではないかと感じています。

それが今会のテーマなので、一旦は勝利して制圧した楚国から反撃を受け、呉王・闔閭とともに命からがら引き揚げてきてからは、将軍として戦うことへの疑問を感じ始め葛藤が始まり、身の引きどころが難しくなってきているのだろうかと感じさせるシーンが多く出てくるようになりますね。

まずはドラマでは楚軍を破った呉軍が楚の都・郢に入城するところからです。

大願成就に喜ぶ闔閭は、下臣の論功行賞を行います。
臣下たちに褒美を与えるわけですが、その褒美は、当然すべて楚の民から略奪して得たものでした。

まずは、楚に恨みを抱く伍子胥には、彼の希望どおりの褒美として楚の美しい王妃たち、さらに普通なら呉王が住むべき王宮までをもらい歓喜しておりました。
しかし闔閭は、一番手柄の孫武に最も素晴らしい褒美を与えようとするのだが、そんな闔閭に孫武は反発するのでした。

↓呉の名将・伍子胥
伍子胥


そして戦勝地での行為について書いた兵法について悔いて改訂することを決心します。

 そんなこととはつゆ知らず更なる領土拡大を狙うため幕営で暮らす闔閭、その一方では呉軍の兵士が戦勝に湧いて酒や女に酔いしれていたというわけです。

一方、楚の王宮を褒美にもらった伍子胥に対して王の実弟・夫概は不満を覚えるのだった。

闔閭から夫概に贈られた霊樾姫は、夫概の実力のなさをいち早く見抜き、彼の欲望を巧みにくすぐり、そのうち夫概を王位に対する欲望が感じるようになさしめて呉の王宮を分断させていくのが狙いだった。