天声人語の11/5連載を読み返していました。
今からもう20年近く前に旗揚げした政党は?。と聞かれてもわかる人は少ないでしょう。
答えは「民主党」(とうとう解党も近そうですが)。
民主党は、旗揚げのその時に「市民が主役」と謳い上げたそうです。
が、それに対して中曽根康弘元首相がこう述べたそうです。
「市民」などというのは地に足がつかない、どこに所属しているのかもわからない、しょせん「抽象的な幽霊」みたいなもんだと批判したのです。
地縁・血縁や会社や組織のしがらみにこだわらず自律的に公共的なことに関わる「個人」について自民党のような保守派から見れば反権力的で青白いインテリ的発想と見えたようです。
市民の政治を早くから提唱し、旧民主党を結成したのが菅直人氏だったのは誰も興味を抱かなかったようですね。
そして、結局誰も見向きもせずに彼を見殺しにしてしまったわけです。
はっきり言って、私は日本には本当の意味での民主主義実現は無理だと思っています。
天声人語では市民の政治に影響を及ぼしてきたある政治学者・篠原一氏が齢90で亡くなったとして、自民党一党独裁の55年体制をなんとか突き崩したいという思いはついにかなえられなかったと述べています。
2009年の政権交代の際に、官僚主導・土建国家からの脱却に大きな期待を抱き、
彼はこの年を55年体制に続く第二の民主制への転換と位置付けたそうです。
しかし、それも短い夢に終わった。
この日の天声人語は最後に、3・11後の脱原発デモや安保体制への抗議行動の全国展開は抽象的な幽霊などではなく地に足のついた市民の姿であると締めくくっているわけですが果たしてそうだろうか。
やはり国を動かすためにはそれなりの政党がなければアカンと思うわけです。
でも、日本においては戦後から結局今の今まで、政治の選択肢は2つだけといってよいのでしょうとは、『バカになったか、日本人』(本書は2011年から2014年にかけて日本でおきた様々なテーマをもとに橋本治氏が書かれた様々なコラムやエッセイを改めて整理し直して作られたもの)で書いておられました。
その二つとは自民党と旧社会党(その成れの果ては民主党)です。
しかし日本が豊かになっていく過程で、自民党の基盤である農業は衰退し、旧社会党の基盤であった労働組合もその力を失ってしまいました。
一方、どちらにも属さない支持政党なしのサラリーマンは急増しました。
しかし、その受け皿はなく、そして今もありません。(サラリーマン新党というのがバブル時代の直前にできたそうですが議員わずか2名という状態で泡のように消え去ったわけです)
そして、三本の矢が実現しないとわかると新三本の矢などという、一億総火ダルマへの道を驀進するアベッチに引きづり回されるのがわが国の現状でしょう。
背後には、日本会議という戦前の国粋主義団体そっくりな組織がいつの間にかできて阿部と自民党を支えています。