「兵は詭道なり」で三国志に出てくるエピソードはまだあります。

有名な戦略家である蜀の諸葛孔明の「空城の計」というのもそうでしょう。

それは、魏の名将・司馬懿に攻められて、負け戦のあと僅かな兵を率いて城に撤退した孔明、まさに自軍の運命も「風前の灯」のような状態になっていました。

そこで、戦局優位に立つ司馬懿が遠方から城の様子を見てみると、城門は大きく開かれ、道には障害物一つなく、さらに城壁の上では孔明が、香を焚いて琴を弾いている姿が見えました。

攻め落とそうと城門近くまで進んできた魏の騎馬隊は、この異様な光景に驚き、司馬懿の指示を仰いだのでありました。

司馬懿は、きっと罠がしかけてあると思い込み、敢えて攻撃をせず退却してしまいます。
しめしめとばかり、孔明は夜半に難なく逃げのびてしまったというわけです。

このケースでは、考えすぎの司馬懿が孔明の「詭道の計」にハマって完全に欺かれてしまったというわけです。


さて、ドラマ「孫子兵法」大伝、最大のクライマックスシーンの後半のストーリーです。

鍾離を守る孫子に精通した霊樾姫は、孫武の裏をかこうとして、城が守れなくなることを心配する名将・申包胥らを陽燧関に派遣し、孫武率いる連合軍を待ち伏せさせることにしたのですが、逆に孫武の作戦にまんまとハマってしまったのです。

れいえつ1

申包胥の待ち伏せを事前に察知した孫武が、それに先んじて兵を潜伏させていた
ため、燧関で呉軍を待ち伏せしていた申包胥軍に、山の左右から大軍に襲い掛かられます。

予期せぬ敵の襲来に、申包胥軍は壊滅的な打撃を受けてしまいます。

この大勝利に上機嫌の呉王・闔閭に対して孫武は、申包胥を追い柏挙へ向かうよう進言するのです。

敗走する申包胥が囊瓦と合流すると見込んだ孫武は、柏挙こそが囊瓦との決戦の地になると確信します。まさに決戦・“柏挙の戦い”の始まりである。

 孫武は、申包胥が鍾離城に残した食糧を回収すべく、呉軍と一旦別れ、兵1万を率いて霊樾姫のいる鍾離の城へ向かいます。
鍾離城の主・霊樾姫は刻々と近づいてくる孫武軍を、城を守る兵もわずかなため、なすすべもなく城門の上から見守るしかありませんでした。
 
ところが、霊樾姫のもとに孫武から書状が届けられます。
その書状(といっても当時は木簡)の内容は、9年前に命を救われたことへの謝意とともに、霊樾に鍾離を去って郢に戻ることを促していました。

悩んだ末に霊樾は城を捨てて郢に戻ることにしましたが、孫武には闔閭から霊樾を捕らえてくる旨の命を破ったことになります(これが後で大問題になるのですが)。

霊樾とともに鍾離城にいた漪羅は、孫武軍の前にひれ伏して、孫武に鍾離の民を戦火に巻き込まないように、また民から略奪しないでと必死で訴えるのでした。


そこで孫武は城を守る兵用に残されたわずかな兵糧を携え帰還しますが、これもの後に呉王・闔閭に疑念を抱かせる要因になります。

 楚の都・郢に戻った霊樾姫は楚の危機を救うため、申包胥軍、囊瓦軍に加え、沈戊戌の軍を呼び寄せるよう伝え、決戦の準備を進めるのです。

そんな中、孫武は囊瓦に漢水を渡らせるため、本隊を撤退すると見せかけ、囊瓦を挑発します。

孫武の読みどおりここを勝機と見た単細胞の囊瓦は、いよいよ漢水を越え追撃を開始するのです。

 孫武たちは、唐軍や蔡軍が潜伏している柏挙まで、囊瓦をおびき寄せ、一網打尽にする計画でした。

 しかし、どこまで追走しても、呉の本隊に追いつけない囊瓦は、呉軍の撤退に策謀のにおいを感じ取り、進攻を中断してしまいます。

あと一息のところで、進攻の止まってしまった楚軍に対し、孫武は新たな策を講じます。それは、闔閭の弟・夫概を闔閭の影武者に仕立て、楚軍をおびき寄せるというものでした。

敵将である闔閭の影武者登場に、勢い込んだ囊瓦はとうとう柏挙へ進軍するのですが、これが楚軍壊滅の引き金になってしまうのでした。