当時の呉を悩ませていたのは先王の子である勇猛な名将・慶忌の存在であった。

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慶忌は楚との交戦中に父が闔閭に殺されたことを知り、軍を引き連れたまま楚に寝返っていた。
呉王の座を奪い返すため反撃を狙う慶忌に対し、呉王・闔閭は弟の夫概に3万の軍勢を与え、戦いを挑ませますが、勇猛の士として知られる慶忌に夫概は苦戦させられます。

困った闔閭に対し孫武は次の一手として“用間の計(スパイの活用)”を用いて慶忌ひとりを暗殺し、慶忌軍をそっくり奪うという案を呉王・闔閭に進言する。


しかしこんな大それた任を担える勇士が今の呉にいるだろうか。

そこで、孫武はなんと酒坊の主人で自分たちが呉に逃げ延びたときに世話になった要離を推薦するのだ(孫武の妻は猛反対でしたが)。

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 王に接見した要離は、慶忌に自分を信用させるためには、「自分の右腕を切り、さらには妻の楽女を殺してほしい」と願い出る(これはあまりにも無理すぎていて俄かには信じがたいお話ですが、このあたりからこのドラマにある種の違和感を感じ始めたのは私だけでしょうか。

呉王はそれを聞き届け、町の人々の前で刑が行われるのだった。

というのは、名将・慶忌をだますためには、まずは呉の人民が要離を犯罪者だと思わせる必要があったのでしょう。

当然、慶忌はかつて呉の国で活躍していた武将だから、国内にいろんな情報網を持っているはずで簡単なことでは騙されるはずはないと思えます。

そして孫武は、スパイの要離に慶忌軍営の中で火事を起こし、その混乱のさなかに慶忌を殺害するよう指示を出します。

要離は指示どおりに慶忌の軍営に火を放ち、宝剣を慶忌の腹に突き刺したまではよかったのですが、なんと慶忌は配下の武将たちに要離のことを勇士と称賛し、呉に護送するよう申し渡して死んでしまうのです。

そんな慶忌の姿に感銘を受け、己の行為を恥じた要離は、孫武の前で自害するのでした。ここで私の気持ちは孫武などどうでもよくなり、慶忌の名将ぶりに感銘するのでありました。