アンダルシア州の観光地といえばグラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータやメディナ・アサーラ、セビリャの黄金の塔やヒラルダの塔が有名で、アンダルシアは、フラメンコ音楽と闘牛の発祥の地でもあるのです。
さて、3大ツール最後のブエルタの第3ステージではゴールが“マラガの海”で、まさに絶景ポイントといえますね。
そもそもマラガ県の地中海沿岸はコスタ・デル・ソルと呼ばれ(太陽の海岸)一大リゾート地となっているのです。
そしてコスタ・デル・ソル(Costa del Sol)は、スペイン南部アンダルシア州のマラガ県の海岸地域とカディス県のカンポ・デ・ヒブラルタル地区の地中海に面する地域を指しているそうです。
さて、この日のレースの方と言えば、区間勝利を、ティンコフのペーター・サガンがつかみ取りました。
しかしファビアン・カンチェラーラは胃痛を訴えて、第4ステージ朝に大会を離れたツール・ド・フランスに続いて、わずか3日目でリタイアとなってしまいました。
第4ステージ:スペイン南端の到着地であるベヘール・デ・ラ・フロンテーラは、アンダルシア地方に多い白壁の建築物が特徴。その美しさに、この地域の歴史と伝統を見て取ることができるのである。というのもベヘールには新石器時代から人が定住していたことがわかっており、青銅器時代には既に要塞が築かれていたそうだ。ローマ時代以前にはベサロ (Besaro) と呼ばれており、現在も残る市壁の一部は紀元前7世紀からある。
レースの方は、アレハンドロ・バルベルデが、自身9つ目のブエルタ区間勝利を手に入れた。
第5ステージ:スタートはスペイン有数の歴史の街であるロタ。
地中海の入口に近くポルトガルとジブラルタルとの間のほぼ中間に位置している立地を活かし、港湾や観光、漁業、商業で栄える多彩さを見せている。なお、有名なカディスはカディス湾を挟んだ対岸に位置している。ここを語る歴史話、スペイン王カルロス2世(1661-1700)の死後(彼が病弱だった理由はおそらくハプスブルク家の何重もの近親婚であろうと考えられており、彼の死でスペイン・ハプスブルク家は断絶した。)に起きたスペイン継承戦争では、1702年にイングランド・オランダ連合艦隊の攻撃を受けた(カディスの戦い)
また、1955年よりスペインとアメリカの両国海軍が共同使用するロタ海軍基地を有していて、アメリカ艦隊が地中海に入る際には最初の寄港地でもある。
一方、アンダルシア州最大の都市であるセビリアがレースの中間スプリントポイントとなっていました。
この都市については、15世紀後半、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国が、レコンキスタを完了させるとともに新大陸へ船を進めた際に、イベリア半島西岸と航路で結ばれているセビリアは、アメリカとの貿易の独占港となって繁栄を誇った都市で観光的にも見所満載のステージでした。
第6ステージ:古代ローマ時代からの歴史が息づく街・コルドバ。
756年に成立した後ウマイヤ朝はコルドバを首都とし、その中心はモスク(メスキータ)であった。
10世紀にアブド・アッラフマーン3世とハカム2世の治世下で繁栄をとげ、大図書館が建てられて多くの学者が活躍した。トレドと並んで西方イスラーム文化の中心地として発展し、10世紀には世界最大の人口を持つ都市となった。世界文化遺産にも登録されるこの街のブエルタ登場は2年連続となる。
このステージの到着地であるカソルラは、スペイン最大の自然保護区内に作られた街。ヨーロッパ各地から多くのハイキング客が訪れる場所で結構穴場的な名所である。
レースの方は、区間優勝したチャベスが念願の赤いジャージ(マイヨ・ロホ)を取り戻したのであります。
そして熱い暑いレースはまだまだ続きそうですね。