今回のステージの一部タルン川渓谷一帯はフランス中央山塊南東部にある「グラン・コース (Grands Causses)」と呼ばれる石灰岩の高原地帯で、フランスの渓谷美をまざまざと見せられる素晴らしいコースでした。

「タルヌの喉」と呼ばれる美しき渓谷を眺めながら約80kmはほぼ平坦は走りが続く、途中、世界一高い橋である「ミヨー橋」の下をくぐり抜けます。

たる

ミヨー橋(ミヨー高架橋: Viaduc de Millau)は、フランス南部アヴェロン県の主要都市ミヨー近郊のタルン川渓谷に架かる道路専用の斜張橋で、主塔の高さがエッフェル塔や東京タワーよりも高い343メートルに達します。世界一高い橋として知られており、それでもタルン川渓谷の最も低い地点を渡り、コース・デュ・ラルザック高原 (causse du Larzac) とコース・ルージュ高原 (causse rouge) を直結する長大な橋として完成し、この橋は素晴らしいグラン・コース自然公園の中に位置しているのです。

そして今回のゴール地点は、ツールでは4回目のラ・クロワ・ヌーヴ(新十字架)で、クラシックレースの「パリ~ニース」やその他レースで定期的に使用されるため、選手にとっては「おなじみ」の激坂なのである。

ちなみに1995年7月14日にこの山を制したローラン・ジャラベールにちなんで、この上りは2005年に「モンテ・ジャラベール」とも呼ばれる。山の上には十字架と、ジャラベールの勝利を記念する黄色い道標を見つけることが出来るらしい。


それはレースの最終盤のゴール前での出来後、この日はレース観戦に来ていたフランス大統領フランソワ・オランドの目の前で、フランスの若き2選手が手痛いミスを犯してしまうのだった。

大事な場面の走行中に。後方には一切警戒を払わずに2人が牽制を始めてしまったためその隙に、34歳のスティーブ・カミングスが、高速ですり抜けてステージ優勝を奪取してしまった(痛快なシーンではあった)のだ。



しかし、レース後にもっと重大な問題が発覚していたのだ。

今回のゴールに因縁深いローラン・ジャラベールというかつての名選手。

彼は2002年に引退後、自転車メーカーLOOK社のコンサルタントやフレームビルダーを行う傍ら、テレビ解説者の活動を熱心に行っている。
ツールでは、オートバイの後部座席から「独特の口調」でレース展開を報じていたのだが、年齢のせいなのか2014年からはゴール地点にいて解説を務める役割になったようだ。

さて、解説者のこのジャラベールが、今回のツールにおいて何の根拠もないままに「フルームのパフォーマンスは異常だ」とドーピングを示唆するような発言をしたため、フルームやチームスカイにまでバッシングが及ぶことになってしまったのだ。

この日のマイヨ・ジョーヌ記者会見にやってきたフルームは、質疑応答の前に、自らマイクを持って語り始めた。

ステージ優勝したカミングスへの祝福、自分のチームメートへのねぎらいと感謝、キンタナのアタックに応えられたことへの満足感、他のライバルたちからタイムを奪えたことの喜び……を語った後に、衝撃的な報告が行われたのである。

「ひどく残念なことに、50~60km地点で、観客が小さなコップに入った尿を2杯、僕に浴びせかけてきた。『ドーピング野郎!』と叫びながら。ひどく失望させられた。受け入れられない事態だ。もちろん、こんな行為を働くのが、ごくごく一部の人間であることは分かっている。これも一部のメディアが、非常に無責任な情報を垂れ流ししているせいなんだ。3日前の僕の勝利や、チームについて、無責任な内容の記事が書かれている。これもまた、受け入れられない事実だ」と、今大会におけるスカイの成功について、一部メディアが「無責任な報道」を行った結果、今回のアクシデントを招くような「風潮」が生まれたのだと厳しく非難した。


「いろんな意味で許されることではない。僕らはプロだ。一生懸命努力しているのは、こんなことをされるためじゃない」と、フルームは、個人名(ローラン・ジャラベール)こそ出さなかったものの、ある方向を指さし「大衆を非難するつもりはない!レースの一部の人たちの報道を非難したい。彼らがみんなに迷惑をかけている人たちだ、根拠もなくとても無責任な発言である。そして本人たちは、自分のことだと分かっているはずだ」と続けた。

 かつてからドーピングだけでなく、モーター付きの自転車を使用しているのではないかと疑いをかけられているフルームは、「選手たちが競技の評判を落とすのではない。それは一部の人たちのせいで、本人ならその訳はきっと分かっているはずだ」と付け加えた。
さらに、スカイのリッチー・ポート(Richie Porte、オーストラリア)は同日、14日の山岳ステージで、何者かに殴られたことを明かしていた。
 ポートはテレグラフ・サイクリング・ポッドキャスト(Telegraph Cycling Podcast)に対し、「最後の3キロで(パンチを)受けた。強烈なパンチだった」と話した。
「2年前のラルプ・デュエズ(L'Alpe-d'Huez)でも同じような雰囲気だった」
「こういう行いが横行するのは、恥ずかしいことだ」

そしてジャラベールらの発言を真に受けたファンがフルームへの尿かけ事件、ポートへの暴力事件が起きて、スカイの面々やバスを銃を持った仏憲兵隊が護衛する騒動にまでに至っているのである。

さらにその後、フルームはイギリス紳士としての彼らしい穏やかさで、しかし毅然とした態度で語り続けた。
かつてのランス・アームストロングのような挑発的なセリフを吐くわけでもなく、2012年のブラッドリー・ウィギンスが「ファッ×ン」と吐き捨てて記者会見場を後にしたような無謀さもなく、丁寧に、口元に笑みさえたたえながら、マイヨ・ジョーヌは「プロスポーツ選手としてリスペクトして欲しい」と訴えたのだそうだ。

しかし、ジャラベールといえば2013年のツール・ド・フランス直前の6月24日、1998年のツール・ド・フランスで採取され2004年に行われた血液サンプル調査において、ジャラベールがエリスロポエチン(EPO)を使っていたという証拠が見つかったとフランスのレキップ紙が報道‪、2013年7月24日、フランス上院のドーピング調査委員会は、1998年のツール・ド・フランスで採取した血液サンプルの調査結果を公表、EPOを使用していたことが明らかになっている。