第6ステージは、フランスはノルマンディー地方のアブヴィルからル・アーヴルまでの191.5kmという英仏海峡に面した海岸線を走る快晴の一日でした。

ゴールのル・アーヴルの35kmほど手前にあるのが「エトルタ断崖」。

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青い海に、白い石灰岩質の壁が垂直に切り立つ壮大な風景が見事、中でも天然のアーチ「アヴァル門」と、海から三角につきだす「エトルタの針」は、かのアルセーヌ・ルパンシリーズの著者モーリス・ルブランが「フランス王家の宝石が隠された場所」として着想を得て、作品「奇巌城」の舞台としたくらいである。

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さて、「呪われたマイヨ・ジョーヌ?」などと、とうとうこう呼ばずにはいられない事態となってしまった今年のツール・ド・フランス。

7月9日、左肩が動かせないという理由で、前日はあれだけ晴れやかにマイヨ・ジョーヌを着込んで臨んだ表彰式が、沈痛な表情となったトニー・マルティン(チームクイックステップ)にとっては2015年のツールとのお別れセレモニーとなってしまったのです。

去年は優勝候補が次々に落車で脱落していったことを振り返ると、ここ2年のツールの北フランスのあたりのコース(戦没者墓地や死傷者の多いソンヌなどの激戦地が多い)にはなんらかの問題ありなのかなと思ってしまいます(フルームなど戦没者墓地に献花する選手もいます)。

やはり有力な選手たちが大会を去ってしまう(しかも早期に)ことは残念だし、観戦の魅力が下がっていってしまうのです。

ファビアン・カンチェラーラは大会3日目にしてマイヨ・ジョーヌ姿で落車し、そのまま大会を去っていきました。

北フランスのノルマンディー地方を走るこのコースですが戦没者的観点からみますと、

前日の第5ステージはノートルダム・ドゥ・ロレットにあるフランス最大の戦没者墓地を通過しました。

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そして第6ステージのスタート地点から67.5km先にあるディエップ海岸は第二次大戦の連合軍が失敗したため幻の上陸作戦が行われた場所なのである。

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北フランスのディエップ上陸作戦とは、1942年8月19日に行なわれた連合軍のフランスへのノルマンディー以前に行われていた奇襲上陸作戦(作戦名は「ジュビリー作戦(Operation Jubilee)」)。不充分な兵力と作戦のため最初から勝算は薄かった上、事前に作戦実行の秘密がドイツ側に漏れていたため、連合軍は大損害を受け、完全な失敗に終わった(from WIKI)。

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さて、ツール6日目に再びマイヨ・ジョーヌ姿のトニー・マルティンが落車に見舞われリタイアしたため、翌日はこの呪われたような黄色いジャージを着る選手が、丸1日大会から姿を消すことになってしまったわけです。

今回の落車は、ゴール前ラスト1kmのアーチをくぐり抜けた瞬間に起こりました。

その時トニー・マルティンは、目の前を走るブライアン・コカールの後輪に軽く接触した瞬間、体のバランスを崩してしまい、右隣のワレン・バルギルと衝突し、さらにその勢いで前転する形で右に投げ出された。

地面に座り込んだマルティンは、複数のチームメートが見守る中、沈痛な面持ちで左腕を抑えていた。
マルティンによると、当時比較的スピードが遅めだったから、逆に全体重が左肩にのしかかってしまったようだ。そしてすぐに、「体の何かが壊れたな」と感じたのだそうだ。

やはりマルティンは、軽い怪我では済まず、ゴール直後に移動レントゲン設備で精密検査をした結果、左鎖骨の骨折が認められたため、すぐに祖国ドイツのハンブルグの病院に搬送された。


そしてこのマルティンの災難に巻き込まれて、落車してしまうのが重要な4人の選手だったのです。

まるで呪いを掛けられたようにバルギル、ニーバリ、ヴァンガーデレン、キンタナの4選手で、いずれも総合表彰台候補選手ばかりでありました。

さらにフルームとも接触したのですが、彼はぎりぎりのところででバランスを立てなおし難を切り抜けました(当初ニーバリは落車がフルームのせいで巻き込まれたと思い込み、一時二人は険悪な状態になってしまったそうです)。

それでも、バルギルは「腰と肩に打ち身ができたけれど、大丈夫」、ニーバリは「脚と肩を軽く痛めた程度」とそれぞれ語り、キンタナは右肘を痛めたが表面的な怪我のみ、フルームは右膝に軽く血がにじんだだけで済んだとのことであったということで誰1人として大きな怪我を負わなかったのは不幸中の幸いでした。