ジロ・デ・イタリア第16ステージのこの日(5/25)のスタート地点であるピンツォーロという街ですが、ここから数キロ先に有るマドンナ・ディ・カンピーリオ地区が有名な観光地として知られている所だそうです。

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夏場はもちろんのこと、冬場も多くのスキー場があるため、年中楽しめる場所で、 また歴史的に重要な箇所としてはシモーネ・ベスケニスによるフレスコ画『死の舞踏』のあるサン・ヴィジーリオ教会があるそうです。

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さて、最終ゴールのミラノまであと6日に迫り、雨雲に覆われたドロミテの山塊へ向けて、173人の選手が走り出した。

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この日のメインイベントは、アルベルト・コンタドールがジロで最大の維持を見せつけたことにつきます。

それは、ステージの難関モルティローロの急坂(別名パンターニの山)で怒涛のごぼう抜きを成功させ、パンク修理での50秒の遅れを取り戻したという結末です。

そのことについてレース後の公式記者会見でコンタドールは、「全てがパーフェクトに進行していたんだアプリーカからの下りで、僕がパンクにあうまではね。イヴァン・バッソがホイールをくれた。彼と僕のギア比は同じだったから。だけど交換に時間がかかってしまったし、前方の集団は全力で突っ走っていたのだから、すぐには、前とのタイム差を縮められなかったんだ」と苦労の談を告白しました。

しかし、ライバルのパンクを横目に、しめしめとばかりに加速を続けたせこい男ファビオ・アル(一般的にはこのようなトラブルの場合は待ってあげるのが欧州騎士道精神だろうし、個人的には一気に嫌いな選手になりました。彼にだけは総合優勝はさせたくないと)は、その後、コンタドールから手痛いしっぺ返しをくらうことになる。

そして、宿敵コンタドールだけでなく、同じチームのアルのアシスト役のミケル・ランダにまで、「パンターニの山」で置き去りにされてしまうのだからざまあみろでございます。

この日のレースの結果、アルは、新たに2分17秒を失い、総合2位のを、区間優勝した同じチームのランダに渡すことになってしまった。

偶然でしょうが、かつてコンタドールが約55kmの大逃げを成功させた2012年ブエルタ・エスパニャの第16ステージについても、第2回目の休養日の翌日だったそうです。

なお、2週間前まではマリア・ローザ候補だったスカイのリッチー・ポートは、度重なる不運の果てに、ついにリタイアしてしまった。