ニーバリには、もともと渾名がついていて「メッシーナの鮫」といい、彼の自転車のフレームにも描かれています。

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メッシーナとは彼の出身地のシシリー島とイタリア本土との間の海峡のことで16歳でイタリア本土に渡り、それ以来海で遊ぶこともなくなったんだと彼は残念そうに言います。

ちなみに第二次大戦時にシシリー島を統治していたドイツ軍が連合軍のイタリア侵攻を察知して早々に本土へと見事に逃げ延びた際にこの海峡の元も狭いところを使用した(ほんとうに鮫がいるかは知りません)そうです。

そして今回のステージでは、新たな渾名をもらうこととなる出来事がありました。

ピレネーの難関山岳3日目になりまさに天王山です。

つまり総合優勝争いを繰り広げてきた選手たちにとっては、これが正真正銘、このステージで今年のツールの覇者が決定する3週間で最後の「直接対決」のチャンスとなる最大の山場です。

超級オタカム峠の13.6kmの山道で、もはや思い残すことなどなにもないくらいに、強豪たちは死力を尽くして戦ったといえるでしょう。

そして、今回新たに勝者ニーバリについた渾名は、なんと「ピレネーの蚤(ノミ)」でした。

日本人のイメージからすると蚤はかゆみや汚さという決してよいイメージではないのですが、ヨーロッパでは違うようです。

これも第二次大戦ネタですが、ドイツ空軍唯一のロケット機・コメートの部隊(第400航空団)の部隊マークが「飛び出す蚤」なんです。

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そこから察する蚤のイメージは俊敏で他を圧倒して飛び回るということなのでしょう。

↓ドイツ空軍・ロケット戦闘機コメート(第二次大戦末期)
 機種にこの蚤のマークが小さいですが見られます
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ちなみにヴィンチェンツォ・ニーバリは、そのまま10kmの勝利の峠へと飛び立っていった訳です。

一心不乱にペダルを回し、先行していたニエベの脇をあっという間にすり抜け、驚くにニエベをよそにニーバリに誰もついてこられませんでした。

第2ステージに始まって、第10、第13ステージも勝ち取ったイタリア人ニーバリは、オタカムの山の上へも最速で駆け上がりました。

あらゆるライバルから、タイムをさらに奪い取って、4度目の区間優勝に、そしてマイヨ・ジョーヌ表彰式もまさに王者にふさわしい勝利でした。

このステージで今年のツールの覇者が決定する別次元の強さを見せたニーバリに他の選手は後塵を拝むことすらもできませんでした。

まさに「ピレネーの蚤」そのものでした。