それはまさかの第10ステージで起きた。

それが起きたのは、第10ステージに7つある峠のうち、3つ目の峠のちょうど麓にさしかかったときだった。



グランツール総合優勝5回の大チャンピオンであり、今回すでにリタイアした優勝候補のフルームとともに総合優勝に最も近いコンタドールが、どうやら背中のポケットに手を入れて何かを探しているときに、バランスを崩して道路右側に転がり落ちてしまった(映像には転んだシーンはないですが、直後のケガの酷さは見るに耐えられない)。

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まず右ひざを切り、大量の血が流れた。
また左足のシューズに不具合が発生し、交換を余儀なくされた。
「ハリーアップ」という焦ったような彼の声、しかし時は刻々と残酷に過ぎていく。

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急遽チームメート3人がリーダーを待ち、そして一緒に必死の追走を始めた。

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しかし、コンタドールの脚は、もはや思い通りには動かなくなっていた。

チームカーで併走するチーム監督ビャルヌ・リースと、静かな話し合いが続けられた。

そして15時55分、これまで力を尽くしてくれたアシストたちに感謝の意を告げると、真っ白な霧の中で、コンタドールは自転車を降りた。

念願の5年ぶりのツール・ド・フランス総合チャンピオン獲得への挑戦はあっけなく終わりを告げたのであった。

大会メディカル班の診察によれば、コンタドールの負傷は右ひじの外傷、創傷、そして右足の高原骨折(脛骨の上面の骨折)だそうです。

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今大会で最もファンが期待したフルーム vs コンタドールの一騎打ち。

開幕前に準備されていたシナリオは、こうして、急遽スケールを小さく書きなおされることになってしまった。

さて、第10ステージのヴォージュ山岳戦線3日目は、161.5kmの短距離に難峠・激坂が7つも詰め込まれた難ステージであり、ちょうどこの日は、7月14日の革命記念日で、フランス選手が最も頑張る日でもありました。

午前中にはパリのシャンゼリゼ大通で華やかに軍隊パレードが執り行われ、国家ラ・マルセイエーズがいたるところで鳴り響きました。

ちなみに過去100回のツールの中で、7月14日にフランス人が勝利を手にしたのは計30回あるのだそうです。

しかし、今回の結果はイタリア人選手で総合優勝継続中のヴィンチェンツオ・ニーバリでした。

最後は自らの果敢なアタックを敢行し、ステージ優勝とマイヨ・ジョーヌの両方をもぎ取ったのです。

なお、次の第11ステージまでが「第一次世界大戦開幕100周年公式行事」の一環ですが、ここまでで十分呪われたと思いましたのでツールのこの手のお話は一応ここまでにしておきます。